『思考と言語』ヴィゴツキー
- 作者: レフ・セミョノヴィチヴィゴツキー,柴田義松
- 出版社/メーカー: 新読書社
- 発売日: 2001/09/01
- メディア: 単行本
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上巻
20150819開始,同日読了
- 心理学、意識の統一を仮定
- 古来より思考とコトバは同一視されてきた
- コトバの研究 音と意味に分解
- すべてのコトバは一般化
- ;;「あれ」とかは?
- コトバの一般化は思考活動そのもの
- 意味とは?言語であると同時に思考でもある
- コミュニケーションは一般化およびコトバの意味の発達を不可欠の前提とする
- 情動過程と知的過程の統一である動的な意味体系が存在する
- 発達の研究、ということになる
- ピアジェは子供の言語と思考に関する研究に新しい方向を与えた
- つまり子供の知能は小さな大人なのではなく独自の形の知能であると
- 子供の思想は自己中心的
- 自閉的な構造
- 8才までは思考と知覚の全領域にわたってこの自己中心性が影響
- 自己中心的思想は無意識的なもの
- 行動の論理に支配される
- 大人は一人でいるときも社会的に考えるが,子供は集団の中に居ても自己中心的に考える
- 上巻(上巻だけで済むか?)ほんと他人の研究紹介ばっかだな. ピアジェとかとか
- ピアジェへの批判.ピアジェは社会化を論理化と同一視
- シュテルンは子供の知性・その発展に主知的な見解をもつ
- 主知: 知性・理性などの知の機能を、他の感情や意志の機能より上位に置くこと
- 発達の仕方を扱う時にこそ,人格というものの見方が如実に現れる
- ケーラーのチンパンジー研究は,言語は独立して"知性"的なものが動物に現れることを示した
- 人間は二歳頃,それまで独立していた思考と言語の発達がマージされ,一気に人間らしい行動様式になる
- 子供はこのとき「人生における最も大きな発見」つまり「すべてのものが名前を持っている」ことを発見する (『幼児心理学』シュテルン)
- 子供は思想のシンタックスを習得するよりもまえに言語のシンタックスを修得する
- 子供が言語を使って行う思考活動は,大人が同じ言葉を使って行う活動とは別物である
下巻
20150819開始,同日読了
- 子供の発達段階において「生活的概念」「科学的概念」双方の弱点に直面する
- 「生活的概念」の弱点は抽象化ができないこと
- 「科学的概念」の弱点はコトバ主義,具体的内容の不足
- 子供の思考の発展は教育有無に関係なく一般的な道程がある
- 書きコトバと話しコトバの違い.
- 書きコトバのなかでは子供は有意的(随意的)に行動しなければならない.話しコトバと比べて意識性が高い.
"教育はそれが発達の前を進むときにのみよい教育である.そのとき教育は,成熟の段階にあったり,発達の最近接領域に横たわる一連の機能を呼び起こし,活動させる" p.95
- 自覚性と随意性は科学的概念の長所であり,またそこに生活的概念の短所が現れる
- コトバの意味は不変ではなく,子供の発達に応じて変化していく
- 思考は個々のコトバからできているわけではない.
"思想の中では同時に存在するものが,言語のなかでは継持的に展開する" p.235
- 思想とコトバを相互に行き来する運動
『ディスコ探偵水曜日』舞城王太郎
- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/07
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上巻
20150812開始,同日読了
" 「あんまり翻弄しまくらないでね.うまくいくものもいかなくなるから」 「そうですか?」 「人のこと翻弄するのとかって,そのこと自体にどっぷりはまっちゃったりするからねえ」 " p.48
" 疑うことそのものにも際限なんてない.思いがけない発見をしたという経験が,人をより強く,新しい疑いへと駆り立てる. 隠された,隠れていた事実や真実を知ることは善きことだろうか? 正しさのために何かを疑うことは,しかし正しいのだろうか? " p.104
" 感情によってドライブされた推論は,そこに余計なバイアスがかかっている以上信用しにくいものだ...というのは本当だろうか? 感情をもつ人間の行いのすべては,どうしようもなくエモーショナルであってそのことからは逃れようがないのではないだろうか? 感情を介入させないとする態度もまた感情によって起動する...誰に感情を排除できるだろう? 誰がニュートラルに感情を批評できるだろう? " p.140
;; 水星Cの登場インパクトで完全にキャラ付け先入観与えられてそれがぽこぽこ剥がれてくのが面白い
" 「何をどうすればいいのか判らないことを判らないままとにかく始めることを《何とかする》って言うんだよ.覚えとけ」 " p.166
" どう信じればいい?って信じるにやり方はない.信じるということはそのまま飲み込むことなのだ.世界は相変わらずなのだ.俺はそれを飲み込むしかない...のに辛いのは結局自分自身を信じられないからで,俺は自分をちゃんと信じなければならない. " p.274
;; 後半の推理(?)からまた舞城王太郎の悪い癖が...
" 自分一人の世界だったらそれこそ何でもありかもしれませんね.でも他人はいる.だからこそ《共通理解》とか《常識》ってものができるし,それが世界を縛るんです " p.532
" 「でもずっとこうしてるわけにもいかないよな.順序というか,順位がある」 「...で,私,順位が下なんだね」 「ある意味では最優先なんだ」 " p.604
" 人間というのは一つの空間だ.《自分》という認識で一つにまとまっている. " p.611
" でも定められてるとは言え俺は努力を続けなければならないのだ.思うこと,感じること,求めること,願うこと,欲しがること,そういうものを全て強く持つことだけが運命を引き寄せる.誰よりも強いそれらを持つことだけが運命を具現化させる. " p.618
下巻
- 作者: 舞城王太郎
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- 発売日: 2008/07
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20150812開始,20150813読了
;; 下巻からは時空びゅんびゅん超えまくる SF で,そこからさらに 500p 以上も話を展開できるのがすごい.展開してると言えるならだが. ;; 最終的にオカルトに押し込めることなく悪が企業の営利主義という形をとってるのはなるほど
;; ブラックスワンの連中,ほんとにナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』発だったのか
" お前にまずできることは,考えることだ.お前にしかできないこともそれだろ. " p.153
" 弱いってのは本当に罪だねえ.馬鹿の次に悪いよ " p.169
" 悪は感情とか気持ちじゃないからね.悪は存在だよ.ただ在るんだ.だから,おそらくだよ? 神と違って人間が作り出したり創造したりしたものじゃなくて,ただ,ポッと生まれたんじゃないかな.なんか,ふわっとさ.前触れもなく,ただそこにさ. " p.441
『生きられる時間』ユージン・ミンコフスキー
- 作者: E.ミンコフスキー,Eug`ene Minkowski,中江育生,清水誠
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1972/01/01
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20150804読了
上巻
"「時間」に対するわれわれの権利, 現代生活がわれわれから奪ったと思える権利を取り戻したいのだ" p.5 "自由時間を有つことが問題なのではなく, 時間の中で自由にまた自発的に生きかつ死ぬ術を学ぶことが重要なのである" p.8 精神病患者の時間. あるいは未発達な子供の時間. 物事の前後関係をもとに時間的なものを認識.
"一方に於いては、時間は一切の概念的方式化に逆う非合理的な一現象として現れるが、しかし他方に於て、われわれがそれを表象せんとするや否や、それは自然に一本の直線の様相を取る。故に時間のこれら二つの極端な様相の間に挿入され、かつ重なり合いつつ、一方から他方への移行を可能にするような諸現象が存在するのでなければならぬ。" p.33
"自我は生成に於て,生ける人格として自分を肯定する.自我はそれを如何にして行うのか.この問題を解くためには,私は前に赴き,かくして何事かを実現する,という現象を分析しなければならない." p.57
"活動性は時間的本性の現象である.それは存在にではなくて,生成に属する.もっと正確に言えば,それは未来という因子を含んでいる" p.106
"未来,それは理想である.それは倫理的行為の追求である.それはわれわれのうちにある,最も高きものの例外的な実現である.かかるものとして,それは自己充足し,支点を一切必要としない.そのために必要な充分な力を,それは有っている.またもし有っていなければ,いつの日かそれを有つであろう.そしてそのことも,理想に属しているのである" p.156
"われわれはなんと子供じみていることだろう.それではわれわれは死ぬことなしに,生きることができるとでも言うのだろうか" p.169
"それでは,魂が身体を離れて生延びるのであろうか.とんでもない.とんでもない.死は一つの人生を完成するのである.死はそれに終止符を打つのである" p.185
下巻
- 作者: E.ミンコフスキー,Eug`ene Minkowski,中江育生,大橋博司,清水誠
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1973/01/01
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20150804開始, 同日読了
;; 上巻からずっとだが,著者はベルクソンの影響を強く受けている
著者から見ると,現象学的与件と精神病理学的与件は強く結びついている.
"彼女は一般生と,現在とのうちに生きている.事実彼女は決して未来に思いを馳せることはない.また過去を思い出すとすぐにそれが現在のことになってしまう" p.234
『山ん中の獅見朋成雄』舞城王太郎
- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
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;; 20150703開始,同日読了
それから夜が本格的にやってきて,あっという間に自分の手足が見えなくなる.僕は時々気まぐれに森の中を覗きこむ月の明かりと暗闇の中にグラデーションを作る木の幹のシルエットを頼りに上へ上へととりあえず進んでいく.(p.88)
僕はもう変わってしまったのだ.あのトンネルをくぐる前の僕にはもうなれないし,あの頃の僕ももう戻ってこないんだ.僕は諦めなくてはならない.目の前にある僕でなんとかしなければいけない.新しい僕のままで何とかやっていかなくてはならない.そんなこと知っていたし,そうするつもりだったし,新しい僕を受け入れてたつもりだったし,前の僕なんてどうでもよいつもりだったのに,墨を握った瞬間,僕はあっという間に昔の僕を取り戻そうとしていた.昔の僕になろうとしていた.昔の僕に返ったつもりになっていた. 僕は僕自身を騙そうとしていたのだ.そして僕は,無意識のままでそれができるのだ.(p.193)
僕は僕の知らないうちに僕を騙せる. だとしたらたった今の僕だって,無意識の内に僕自身に騙されているのかも知れないじゃないか. (p.194)
僕は歯を食いしばる.畳の上に置いた硯の上に墨を突き,正座で上体を屈ませたまま,僕は奥歯に力を込めて,あやふやな僕自身というものに耐える.よりどころのない僕が僕の頭の上にのしかかり,僕の脳を食べてしまうぞと僕を脅すのを,悲鳴をあげずに僕はこらえる.(p.195)
僕が僕自身に対する僕自身の無意識の裏切りをいくら疑ったところで答えは出ない.そんなのいくら考えても無駄だ.僕は今の僕を断続的に作りながら上手くやっていくしかない.これが今の新しい僕なのだ. (p.197)
僕はなかなか女の子に受けがいい.これは僕が風呂番の中で一番いい仕事をするからではなくて,飛び抜けて若いからでもなくて,どうやら僕が人を殺したかららしい.(p.208)
今はそもそも考えるべきときじゃないのだ.僕は考えず,手を動かさなくてはならない.(p.219)
生活する場所なんて,どこでもいいんだよ.問題は誰と生きるかってこと(p.257)
『キミトピア』舞城王太郎
- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/01
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20150712開始,同日読了
やさしナリン
うん,私はそれを信じよう.今回の一発だけでかなり信頼は損なったけど,完全に無くなったわけではまだ勿論ない.(p.15)
ごめんはもういい. そもそもごめんなんて要らないのだ. 傷ついてなどいない.面倒くさいだけで.そして口先だけのごめんほど邪魔なものはない.(p.32)
諦めるってそれなりに気分がいいよ.残念さも心地いいくらいだ.(p.37)
自分が変わることで世界に影響が出る,と直結させているところに,やはり問題があるなあとも思う.<自分>と<世界>との境が曖昧で,そういうのは幼い心性だし,大人がそういうふうに感じているのは自己とか自我が肥大しすぎているってことのはずだ.(p.44)
単純なものなのよ.そりゃそうよ.夫婦ってのはお互い話し合いながら一緒に生きていこうって契約だからね(p.63)
理解しておけ.私も馬鹿なのだ.(p.65)
添木添太郎
証明できないネガティブな断言なんて単なる呪いだ.(p.73)
でもさっき,僕はほとんど偶然に,より正しい道を見つけ,それと同時に進み始めてしまったのだ.そのことがこれまでの全てを,このまま進むべきではない道にしてしまった. 僕も槻子も正しい道を選んだのだ.それは賢明さの証で,僕は僕たちのそれを喜んでいいのだ.(p.103)
すっとこどっこいしょ.
神がごめんとひと言誤ってきたなら許さないでもないという気持ちで生きている.(p.116)
真夜中のブラブラ蜂
傷つくというのは心に傷がつくのであり,傷は同じところにつけられれば深くなり,やがては致命傷になりうるのだ. 死にたくない.(p.365)
美味しいシャワーヘッド
思い出とかお話って,結局心を揺さぶられてないと思い出せないのよ.言葉とか,風景とかもそうだね.どんなことも,単に記憶はできても,自分では取り出すことができない.思い出せるのは,心の揺さぶられたものだけ (p.439)
でもももう判っているのだ,と認めなくてはならない時期,年齢なのだ.人間関係も,僕の感性も,全ての持ち物が時とともに変化し続けていて,もう耐え切れてなくなっているのだ,僕のそういうシステムに.(p.442)
でも忘れてしまうことが必ずしも悪いことではない. 思い出も思いも空想も行われなかったことも秘密も,全部言葉で語られるが,言葉にされない物事もある.言葉では掬いきれない小さな,細やかないろいろだ.でもそれらは記憶に残っていないんじゃなくて言葉にできないだけで,全部僕の中にあるはずだ.(p.443)