『純粋理性批判』イマヌエル・カント
すべての認識は経験のあとに来る しかしすべての認識が経験"から"生じるとは限らない 経験から独立した認識を「アプリオリな」認識とする. たとえば以下.
- 数学の命題
- すべての変化には原因がある, ということ
分析判断と総合判断の区別.
アプリオリな総合判断はどのようにして可能か? アプリオリな総合判断はよりどころがない.
素質(天性)としての形而上学はどのようにして可能か? => 学問としての形而上学はどのようにして可能か?
理性の批判は最後には必然的に学問に至る.
上記から「純粋理性批判」と呼ばれる特殊な学問の構想が生じる.
- 理性はアプリオリな認識の原理を付与する能力
- 純粋理性は何かを絶対的にアプリオリに認識する原理を含む能力
- しかし純粋理性そのものを体系化するには手がかりが少なすぎるため,
- まずは純粋理性とその源泉と限界を判定する学問が必要で, これが純粋理性批判.
I. 超越論的原理論
超越論的感性論
われわれの認識は対象と「直感」を通じて関係する. それ以外はありえない. 対象に触発されることで観念を得る能力を「感性」という
感性のアプリオリな原理に関する学問「超越的感性論」をまずは取り上げる. 感性を隔離することによってこれを調べる.
- 空間という概念
- "外的なもの"に関する主観的観念で, アプリオリで客観的と称され得るものは空間以外には存在しない.
- 時間という概念
- 時間は内的状態の形式に他ならない
時間と空間はふたつの認識源泉.
超越論的論理学
- 諸観念を受け取る受容性 = 感性
- 観念自身を生み出す力, 認識の自発性, 感性的直感の対象を考える力 = 知性
超越論的分析論
概念の分析論
知性一般は「判断する能力」と言える 知性がアプリオリ内に含む総合のすべての根源的で純粋な観念の一覧表:
- 量のカテゴリー
- 単一性
- 多数性
- 全体性
- 質のカテゴリー
- 実在性
- 否定性
- 制限性
- 関係のカテゴリー
- 偶有性と実体の関係
- 因果性と依存性の関係
- 相互性の関係
- 様相のカテゴリー
- 可能性 <-> 不可能性
- 現実存在 <-> 非存在
- 必然性 <-> 偶然性
アプリオリな概念に基づく限りにおいて, これらの区別は学問の全体のための計画を与える. しかもそれぞれの子要素は1号2号V3的なスタンスをとる(3個目が1+2と捉えられる)
原則の分析論
純粋知性概念からアプリオリに派生し, 残りのすべての認識の根底にアプリオリにそある総合的判断: すなわち純粋知性の原則
純粋な感性的概念の根底には形象ではなく図式が存在する.
矛盾律はすべての分析判断の一般的で完全に十分な原理 矛盾律: どんなものにも, それと矛盾する述語は付け加えられない, という命題
- 直感の公理
- すべての直感は外延量である
- 知覚の先取的認識
- すべての現象において, 感覚内容の対象である実在的なものは内包量(度)を持つ
- 知覚は経験的意識でありながら, 感覚内容を含むような意識である.
- 経験の類推
- 経験は知覚の必然的結合の観念によってのみ可能
- 経験的思考一般の要請
- 経験の形式的条件と一致するものは可能的
- 経験の実質的条件に関係するものは現実的
- 現実的なものとのつながりが経験の普遍的条件に関して規定されているものは必然的
上記の原則は, 「概念分析論」のカテゴリーを客観的に用いるときの規則でもある
デカルトとバークレーを論駁する
観念論 1. [デカルト] 空間においてわれわれの外にある対象の現実存在を, 疑わしくて証明不可能とする * ただひとつの経験的観念(私はある)のみを疑い得ないものとする 2. [バークレー] そのような現実存在は間違いで, 不可能である * 空間を不可能なものとし, 空間におけるものも幻想にすぎないとする
超越論的弁証法
理性は推論において, 知性の認識のおびただしい多様性をもっとも少数の原理に還元し, そうすることによって認識の最高の統一を生じきたそうとする
「私は考える」あるいは「私は考えつつ現実に存在する」は, 経験的命題である. しかし, このような命題の根底には経験的直感が, それゆえにまた現象としての考えられた客体が存在する.