『意志と表象としての世界(3)』ショーペンハウアー
20150208開始, 同日読了
第四巻 意志としての世界の第二考察(続)
苦悩が人生の本質をなし,苦悩はしたがって外から自分の方へ流れこんでくるものではなく,誰でも自分の心中に涸れることなき苦悩の泉をかかえて生きているのだ(p.23)
あらゆる「満足」あるいは「幸福」と呼ばれるものは消極的であって,断じて積極的なことではない.向こうから近づいてくるものではなく,何らかの願望の満足という形であるため.
人間は自分みずからに立ち帰るよりほかに仕方がない.
人間にとってすべてのものを成り立たせる根本は人間の意志であるし,どこまでもそうである.(p.41)
性欲は生きんとする意志のもっとも強力な肯定.
自分自身の意志を肯定していくうえで他の個体の中に現れる意志を否定するにはいたらないような人 -- このような人は正義の士なのである(p.144)
泣くことは自分自身への同情.
生きんとする意志の否定とは完全なる諦念もしくは神聖さ(?). 真の救い = 生と苦悩からの解脱は,全面的な意志の否定なしには考えられない.
自殺は意志の個別現象を自分勝手に破棄してしまうこと.
自殺は意志の否定であるどころか,むしろ意志の強烈な肯定のひとつの現象である(p.210)
他人の苦しみと自分の苦しみの同一視こそが愛であり,愛とは究極的に同情である.
複音とはすなわち,ただ認識だけが残り,意志が消えてなくなってしまったというそのことにほかなるまい(p.243)