『精神科学序説』ヴィルヘルム・ディルタイ
精神科学序説〈上巻〉―社会と歴史の研究にたいする一つの基礎づけの試み (1979年)
- 作者: ディルタイ,山本英一,上田武
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 1979/10
- メディア: 単行本
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精神科学序説〈下巻〉―社会と歴史の研究にたいする一つの基礎づけの試み (1981年)
- 作者: ディルタイ,山本英一,上田武
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 1981/11
- メディア: 単行本
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20150315開始,同日読了.上下二巻.
原著は1883年,ディルタイ50歳の時.
ディルタイは心理学では、記述的・分析的心理学を標榜し、その流れは了解心理学として心理学のひとつの流れになる。これを基盤にして、精神病理学の世界でひとつの成果を打ち出したのが、カール・ヤスパースであった。またそれの哲学的な解釈は、哲学的解釈学としても知られる。これを方法論として、当時流行の現象学に接木したものが、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』である。
フッサールが『厳密な学としての現象学』他にて行なったディルタイ批判が、その後の哲学の文脈におけるディルタイ評価を決定したということは動かしがたい事実である
雑感
- 法や倫理,社会学的なところに自然科学と同じような基板を与えようとする.
- この「序説」自体はこの時代までのいわば哲学の「総集編」になっていて面白い.
第一部: 緒論
- 精神科学の哲学的基礎についての問いを私の力の及びうるかぎり確実に解決するために,歴史的な手続を,体系的な手続に結びつける.
- 中世の終わりに個々の諸科学の解放が始まる.しかしそのうち社会と歴史はもとのまま形而上学に隷属していた.それを変えたのが"歴史学派"
- 歴史学派により状況は好転したが,認識論や心理学との健全な関連が無いために精神科学と繋がることも,人生に影響をあたえることも出来なかった.
精神科学をカントやヒュームら認識論学派とは別の方法で語る
「科学概念に属する精神的諸事実の総体」はふたつに分けられ,これらを自然科学と精神科学と呼ぶ.知識の地球儀の半球同士,と表現している.
- 「精神科学」という呼称はミル『論理学』の普及による影響
精神科学は,自然認識の組織に匹敵するような論理的構成をもつ全体を形づくっていない.(p.43)
- バラバラに発展してきた精神科学諸分野の歴史を紐解いていく
法の形成においては,法の担い手である全体意志と個々人の法意識とが一緒に働いている. (p.80)
われわれは,われわれ自身が人倫的義務の連関の中に,法秩序の中に,満たされることを求める生の目的連関の中にあることに気付く.われわれは,ただ自己省察においてのみ,これらの関係のすべてを担い,保っている生統一とその連続とがわれわれの中にあることを知るのである.(p.113)
第二部: 精神科学の基礎としての形而上学.その支配と崩壊
パスカルは人類を,絶え間なく学ぶ唯一の個体であると見た. (p.161)
- 形而上学は紀元前五世紀にヨーロッパに現れる.
- 形而上学という表現はあまりに指すものが大きすぎる.もともとはアリストテレスひとりの著作・学説を指すものに過ぎなかったが時代に従って「自然を超越するもの」を指すようになる.
- カントが正しく取り出した形而上学のひとつの標識
「経験の中に与えられたものを客観的普遍的な内的連関によって補充する」もの
(形而上学的方法の)進歩はソクラテス学派の中で成し遂げられた.科学,当時の言葉で哲学は,いまはもはや一つの原理から諸現象を導き出すことではなくて,一つの思想連関であり,その中で命題がその認識根拠によって保証されているものなのであった.(p.227)
- ソクラテスの弁証法的方法によって,数学的な思索作業を可能とし,数学的自然科学,とくに天文学の発展を促し,"われわれの知識について弁明する"という考え方が宇宙についての諸科学の組織化への最初の洞察となった.
アリストテレスと抽象的形而上学の樹立
こっから下巻
- アリストテレスが実体的形相の形而上学を完成した
- プラトンの不変イデアはアリストテレスによって不生不滅の実在界の直観に置き換えられた.
- アリストテレスは実体・原因といったものを実際に理解できるようにしようとしたが,成功しなかった
- プラトンが数学研究の中心となったように,アリストテレスは記述し比較する科学の基礎となる.
中世ヨーロッパ社会の形而上学,キリスト教と認識論
- アウグスティヌスは宗教体験に没頭し,宇宙の問題はどうでもよくなった.自己との対話「お前は何を認識したいのか」「神と魂を認識したい」「それだけか」「それだけだ」
- 自己省察によって内面的生活だけが確実であると気付く.
- 彼にとって世界とは意識の現象を意味した.
- ;; ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』が連想されるな...
アリストテレスの中にその完結を見出した理性科学としての形而上学は,神を「思惟の思惟」として規定したのであった. (下巻 p.170)
- 神学と宇宙科学の結合から,中世形而上学は内的矛盾を孕むようになる
宇宙の思想的連関についてのこの科学と,神の中には現実を動かす意志があるとする学説との間には,解決できない矛盾がある. (下巻 p.174)
- イブン・ルシドは神の側に立ち,
- オッカムは科学の側に立った.
ウィリアム・オッカムはフランチェスコ会系の神学者でありながら、人間の論理的思考を神学や形而上学から切り離し、科学的な分析の対象とした。そうした方法的な態度が後世に影響を与え、中世と近世とを思想的に橋渡ししたと評価されている。
- 神を切り捨て科学を独り立ちさせたのはオッカムらへんだったのか