『宗教的経験の諸相』ウィリアム・ジェイムズ

宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)

宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)

宗教的経験の諸相 下 (岩波文庫 青 640-3)

宗教的経験の諸相 下 (岩波文庫 青 640-3)

20150405開始,同日読了

1901年.

人間の精神において宗教のもつ役割を明らかにする本.宗教心理学の奔り.もとはイギリス,エディンバラ大学での講義.昨年からプラトンにはじまり時系列で哲学書を読んできたが,いよいよ宗教を客観視する時代に入ってきたか...

全体的に宗教一般と言いつつキリスト教に寄った話ではある

上巻

第一講: 宗教と神経学

著者(講演者)は神学者でも人類学者でもない,ただの心理学者であると.

よって信仰告白書や自叙伝といった,信仰がはっきり現れた個人の書いたものが研究対象となる

いかなる事柄に対しても,二種類の質問がある.

  1. 存在命題 ... その本性はなにか? いかにして生起したのか?
  2. 価値命題 ... その価値,意義,意味は何であるか?

宗教に関しては両者を区別することは容易

スピノザ曰く「人間の行為や性向を,それがあたかも線や面や立体の問題であるかのごとく,私は分析しよう」

ある精神状態が他の精神状態よりも優れていると考えられている場合,それは

  1. その精神状態に直接な喜びを感じる
  2. その精神状態が将来の生活によき成果をもたらすと信じている

のいずれかの理由.

内面的に幸福であることと,役に立つということとは,必ずしも一致しない. (p.32)

たとえば

もし「善いと感ずる」だけでことが決められるのであれば,酔っぱらうことは,もっとも有効な人間経験ということになるであろう. (p.33)

要するに,有効な基準は

  • 直接の明白性
  • 哲学的合理性
  • 道徳的有用性

これらのみである.つまり宗教生活をその結果によってのみ評価しよう,と ;; いきなり有効な基準を決め打ちしてしまっていいのか

第二講: 主題の範囲

「宗教」の定義がたくさんあるという事実こそが,「宗教」はひとつの集合名詞であることの証明となる.

宗教的情緒は,多くの書物で言われるような特殊な心理状態,ってわけじゃない

講義における主題は「個人的宗教」のみに絞る.宗教の分派とか組織神学,神々の観念については振れない.そういった前提のもと本講義における宗教を定義すると,

宗教とは,個々の人間が孤独の状態にあって,いかなるものであれ神的な存在と考えられるものと自分が関係していることを悟る場合だけに生ずる感情,行為,経験である (p.52)

宗教においては諦めと犠牲が信奉される.宗教はどのみち必要なものを,容易にし,喜んで行わせるもの.

第三講: 見えないものの実在

宗教生活 = 見えない秩序が存在しているという信仰,私たちの最高善はこの秩序に調和・順応することにあるという信仰から成り立つ生活

カントは神や魂といったものについては知識の対象でなく意味も持たないとしたが,実際の所,我々の「実践」に関しては意味を持つ.神が存在するかのように行う具体的な行為は,一定の意味を持つ.

第四・五講: 健全な心の宗教

人間生活の第一の関心ごとは? => 幸福

文学者ウォルト・ホイットマンはあらゆるもの・ひとを好いており,日常のあらゆるものから幸福を引き出せて,何に対しても侮蔑的な意見を表明しなかった

「健全な心」 ... このように万物を善であると見る傾向.

私たちが悪と呼んでいるものの多くは,人々がその現象を見る見方にまったく依存している (p.137)

より善きものへ向かう性格の変化.

責任感を捨てよ,諸君の握っているものを棄てよ,諸君の運命の配慮をより高い力に委ねよ,ことのなりゆきにまったく無関心であれ,そうすれば,諸君は完全な内心の救いを得るばかりでなく,それに加えて,すっかり諦めたつもりでいた特別の財宝をも,しばしば手に入れることに気付くであろう.(p.169)

これが自己絶望による救いである.

そこへ達するためには,普通,ひとつの危機点が通過されねばならない.心のなかで一つの角が曲がられなければならない.なにかがくずれねばならない.(P.169)

このことは自動的・突発的に起こる.この種の人間経験をするかどうかでその人の宗教的性格が変わる.

精神治療: あたかも自分が正しいかのように生活せよ.そうすれば,毎日の生活が,諸君の正しいことを実際に証明してくれる

第六・七講: 病める魂

病的な抑鬱状態のひとつアンヘドニア(anhedonia: 快感欠乏).楽しめない,やるせない,失望・落胆,心の弾みの欠乏が心を満たし,善という善が不愉快に感じられる.

;; 生きることが楽しくないのでと服毒自殺した19歳の教育を受けていない女の遺書とか載ってる.こうした個人の日記レベルがいっぱい読めて面白い

  • 「健全な心」のひとは1回生まれるだけで幸福になれるが,
  • 「病める魂」のひとは2回生まれないと幸福になれない.

第八講: 分裂した自己とその統合の課程

「逆回心」 ... 信仰が急に失われること.日記ある

古い医学では,肉体の回復の仕方にはふたつあるとされてる.lysis(漸次的な回復)とcrisis(突発的な回復)

トルストイ,鬱々した精神状態から回復していった人でその記録が残ってる

第九・十講: 回心

回心.精神的な「間違っている -> 私は正しい」の変化.

ある人間のエネルギーの中心が急に切り替わる精神作用はどのように起こるのか? => 心理学として一般的な解答はない.

宗教的な観念が精神的エネルギーの中心となりえない人,つまり絶対に回心しないであろう人も存在する.

回心は人生に対してどのような実際的な果実をもたらすのか? という話が次講「聖徳」

下巻

第十一・十二・十三講: 聖徳

「聖徳(Saintliness)」: 宗教が人間の性格に実らせる果実を現す集合名詞.霊的な感情をいつでも人格的エネルギーの中心としているような人.特徴は

  1. この世の卑小な利害関係よりももっと広大な生活の中にいる感覚
  2. 理想的な力と私たちの生命は連続しているという感じ
  3. 無限に意気が高まり「自由になった」感じがする
  4. 感情の中心が「調和のある愛情」になる

で,これらが実際的に生活の上で

  • 禁欲主義
  • 心の強さ ... 恐怖と不安が消滅
  • 清らかな心 ... 世俗の汚れに染まらない
  • 慈愛 ... 同胞に対するおもいやり

という果実をもたらす.

所有に基礎をおいた生活は,行動・人となりに基礎をおいた生活ほど自由ではない.

自己放棄の神秘.すべてを捨てて神onlyで生きることに非常な満足・真の信仰を感じる人.

1ペニーの金は財政的な保証としてはとるに足らないが,精神を阻害する点ではいちじるしい効果がある. (p.107)

第十四・十五講: 聖徳の価値

ここでは「聖徳」を「評価」していく

各種「生活上の果実」も極端に振れると害悪になる.

肉体的な苦痛により信仰を確認しようとする人は,むしろ外部の肉体にとらわれすぎている.肉から本当に解放されているならば快楽も苦痛も等しくどうでもよく,わざわざ傷めつける必要はない.

環境が様々,適応も様々なので結果を絶対的に測ることはできない ;; そらな

私たちはめいめいで,自分の力と信ずるもの,自分の真の使命であり召命(しょうめい)であると感ずるものに,もっともよく適合するような種類の宗教と,それにふさわしい量の聖徳とを,自分自身のために見つけ出さなければならない.私たちが経験哲学の方法に従う限り,いかなる成功も絶対的には保証されておらず,誰にも過つことのできない命令が与えられるということはないのである.(p.181)

;; 銘々神か

第十六・十七講: 神秘主義

神秘主義の定義

  1. 言い表しようがないこと
  2. 認識的性質 ... 比量的な知覚では計り知ることができない
  3. 暫時性 ... 基本的に短時間で終わる
  4. 受動性 ... 集中するとか,ある程度準備はできるけど基本的に突発的になんか来る.

神秘主義は権威あるものと呼ぶことが出来るか?

  • 神秘的状態は,それが十分に発達した場合,その状態になった個人に対しては絶対的に権威を持つ
  • 神秘的状態の啓示を,局外者に対して無批判に受け入れることを義務付ける権利は生まれない
  • 神秘的状態は,そのような意識が意識の一種類にすぎないことを証明している

第十八講: 哲学

哲学(をツールとして宗教意識を論じること)

哲学は果たして,宗教的な人間がもっている神的なものの意識が真実であるという保証ができるか?

宗教的経験の源泉は感情.哲学的な方法論は二次的なもの

神を扱う哲学.神の必然性,神の非物質性,神の不可分性,神の無限性,神の自己愛,神によりもたらされたとされる絶対的幸福...

これらの属性を哲学的に議論しても宗教的にまったく意義はない,というのが著者の意見.

第十九講: その他の特徴 / 第二十講: 結論

総まとめとして,宗教的意識に対してこの講義独自の結論を与えよう.

ひとがある宗教を選ぶ場合,美的生活が重要な役割を果たす.

宗教科学は生きた宗教の代替とはなりえない.

宗教を単なる遺物として取り扱うのはいかにも自然である.なぜなら,宗教は,事実,もっとも原始的な思想の伝統を永続させようとするものだからである.霊的な力を抑圧すること,あるいは,その力を抱き込んで味方にしてしまうこと,これが永い永い間にわたって,自然界に対する私たちの一大目標であった. (p.353)

個性は感情に基づいている.感情の奥底,性格の「より暗くより盲目的な層」こそ,真の事実の生成過程をとらえ,事象がどのようにして起こるかを直接に知覚する唯一の場所.

いきいきとした個人化された感情の世界に比べれば宗教の知的な部分などカスであると

個人の運命を問題とし,したがって私たちの知る唯一の絶対的実在とつねに接触している宗教が,必然的に人間の歴史のなかで永久的な役割を演ぜざるをえないということに,同意しなくてはならない.(p.364)

宗教は純主観的であるが故に,批評家達の攻撃から擁護されている.