『自我論集 > 「快感原則の彼岸」』フロイト
- 作者: ジークムントフロイト,竹田青嗣,Sigmund Freud,中山元
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/06
- メディア: 文庫
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20150426開始,20150428読了
雑感
まさかフロイトがこんな大真面目に細胞と生命について考察してるとは
メモ「快感原則の彼岸」
欲動の保守的な性質 生命は無生命状態に戻ろうとする 欲動の保守的な性質 生命は無生命状態に戻ろうとする過程...保守的なので。 欲動で生命の動機を説明しようとしてる 性欲動は他の欲動と対立する 人間の内部には特別な、新たな変化を求める傾向、超人へ向かう傾向などは 存在しない。動物と同じように説明できる
ヴァイスマン『生と死について』 死ぬ生命物質と不死の生命物質。要は胚細胞だけど ヴァイスマンは、生命はその進化の遅い段階で死を獲得したとする。原生動 物は条件さえ整えれば分裂し続けて内的には不死であると
ウッドラフの研究。分裂のたびに新しい環境に入れれば3000世代を超えて生存. しかも遠い血縁の老廃物なら影響なく、自身の老廃物が溜まった溶液においてのみ老化現象を示した。
ショーペンハウアーによれば死は生命の本来の結果であり目的でもある
ヴァイスマン、『胚原形質』で受精は生命の若返りだという視点を否定。ではなく、二つの異なる遺伝傾向を混ぜるための仕組みである、と
「飛んで行けぬものならば、足を引き摺ってでも行かねばならぬ」ハリーリー『マカーマート』
解説からの追加メモ 『快感原則の彼岸』から3年後の『自我とエス』にかけてフロイトの自我理論は大きく変化 『快』においてフロイトは快感原則と現実原則の対立構図が維持できなくなったとみとめ死の欲動を導入 で、それまでの快感原則とは異なる反復強迫とでも言うものが心の装置を支配する場合があり、それが「快感原則の彼岸」にある、との意見を表明 「反復強迫は快感原則を凌ぐものであり、快感原則よりも根源的で、基本的で欲動に満ちたもの」p.140 と考えている
「自我とエス」ほか
意識と無意識分けるのは精神分析の大前提 が、無意識とは潜在的に意識できる 潜在的に意識可能、すなわち記述的に無意識的なものを前意識的とよび、本来の無意識的なものと区別する 心ににたもの「プシコイド」 無意識Ubw, 意識Bw, 前意識Vbw
フロイトはこの区別に満足できず、より包括的な自我と、抑圧されたもの、という意味でのエスとに分けて考えはじめる
解説よりキャプチャ