『絶望名人カフカの人生論』フランツ・カフカ / 頭木弘樹(編)

絶望名人カフカの人生論

絶望名人カフカの人生論

20160525 開始,同日読了

人間の根本的な弱さは,
勝利を手にできないことではなく,
せっかく手にした勝利を,活用しきれないことである.
生きることは,たえず脇道にそれてゆくことだ.
本当はどこに向かうはずだったのか,振り返って見ることさえ許されない.
ぼくはひとりで部屋にいなければならない.
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないのと同じように,
ひとりでいれば何事も起こらない.
ぼくは人生に必要な能力をなにひとつ備えておらず,
ただ人間的な弱みしか持っていない.
ぼくの人生は,自殺したいという願望を払いのけることだけに費やされてしまった.
幸福になるための,完璧な方法がひとつだけある.
それは,自己のなかにある確固たるものを信じ,
しかもそれを磨くための努力をしないことである.
考えてみればみるほど,ぼくが受けた教育は,ぼくにとっては害毒であった.
ぼくの勤めは,ぼくにとって耐えがたいものだ.
なぜなら,ぼくが唯一やりたいこと,唯一の使命と思えること,
つまり文学の邪魔になるからだ.
ぼくは文学以外の何ものでもなく,何ものでもありえず,またあろうとも欲しない.
だから,勤めがぼくを専有することは決してできず,
むしろそれは,ぼくをすっかり混乱させてしまうだろう
ぼくが仕事を辞められずにいるうちは,本当の自分というものがまったく失われている.
それがぼくにはいやというほどよくわかる.
仕事をしているぼくはまるで,溺れないように頭をできるだけ長い間あげているようだ.
それはなんと難しいことだろう.
なんと力が奪われていくことだろう.
あなたはお聞きになるかもしれません.
なぜぼくがこの勤めを辞めないのかと.
なぜ文学の仕事で身を立てようとしないのかと.
それに対して,ぼくは次のような情けない返事しかできないのです.
ぼくにはそういう能力がありません.
おそらく,ぼくはこの勤めでダメになっていくでしょう.それも急速にダメになっていくでしょう.
ぼくの生活はただ書くことのために準備されているのです.
時間は短いし,体力はないし,仕事はおそろしく不快だし,住居は騒がしいし,快適でまともな暮らしができないなら,
トリックでも使って切り抜ける道を見つけるしかありません.
ぼくは実を言うと,物語ることができない.
それどころか,ほとんどものを言うこともできない.
物語るときはたいてい,初めて立ち上がって歩こうとする幼児のような気持ちになる.
ぼくは彼女なしでは生きることはできない.
しかしぼくは,彼女とともに生きることもできないだろう
女性は,いやもっと端的に言えば結婚は,
おまえが対決しなければならない実人生の代表である.
避けようとして後ずさりする,しかめっ面に,それでも照りつける光.
それこそが真実だ.ほかにはない.