『グライス 理性の哲学: コミュニケーションから形而上学まで』三木那由他

2023-01-07 開始
2023-01-08 読了


前著(『話し手の意味の心理性と公共性』)は著者が書いた博士論文の内容を一般向け書籍にしたものらしかったが, この本はそもそもその研究テーマの土台になっていたグライスという研究者の思考を解説するもの...と期待

前著の読書メモ:

memerelics.hateblo.jp

グライスはオックスフォードの日常言語学派の一人とされている
が, 日常言語学派の考えに批判を加えたりしているので外から見るとそこから離れたように見える. ただ当人的には一員だと思ってる
グライスは基本的にオースティンの哲学を土台にしている. 日常言語を観察して分析, そこから哲学を行う.
オースティンの主催する "土曜朝の会 (Saturday Mornings)" に参加して議論を行っていた.
ストローソンはグライスの同期みたいな感じで, グライスを高く評価

日常言語学派は「意味使用説 (use theory of meaning)」つまり「言葉の意味とはその使い方である」という方針だが, グライスはちょっと違う.
グライスは日常言語を出発点としながら「意味」と「使用」を区別して, 前者 (意味) に着目して概念分析を試みた
意味に着目する, というアプローチは「会話的推意の理論」と密接に関わっている
「推意」はグライスの造語 implicature の訳語として爆誕したものなので聞き慣れなくて当然
「推意」の意味は「言葉ではっきり言ってないことを言外に伝達する」こと

会話的推意の理論は, 真である発話がそれにも関わらず不適切になる理由を説明する.
サールもまさにこの辺の理論を展開するんだけど, サールもオースティンの教え子だった
グライス的には「真である発話がそれにも関わらず不適切になる」のは会話の規約ややり方に起因するのではなく, 我々が共通してもつ理性の働きによるもの, という結論に持っていきたい

グライスは「会話の格率 (conversational maxims)」なるものがあると考えた.
;; これはベスプラのようなものではなく, 理性ある我々が会話を行う場合常に従っている前提条件, という位置付け? かなり強い主張?
内容は以下

量の maxims

  • 必要なだけの情報を持つ発言をせよ
  • 必要を超えた情報を持つ発言をするな

質の maxims

  • 真なる発言をしようとせよ
  • 自分が偽と信じていることを言うな
  • 十分な根拠のないことを言うな

関係の maxims

  • 関連性のあることを言うべし

様態の maxims

  • 難解な表現を避けよ
  • 多義的な言い方を避けよ
  • 簡潔に語れ
  • 順序立てて語れ

;; 人類の会話, 上記ぜんぶ満たしているケースの方が稀じゃない? 哲学者とばっかり会話してて基準がわかんなくなってない?
...ああ, 違う, グライスも「理想的にはこういう形であってほしい」と提示したものっぽい
実際は会話の目的を共有できる相手との間でのみ上記 maxims が成立する. そもそも目的が違う相手との会話はそうはならん
で, まぁ, この conversational maxims を使えば何が嬉しいかというと, 会話の推意が説明できるから.

あいつが米津玄師の Lemon 歌ったよ、といえば良いところを、
あいつは米津玄師の Lemon の音楽と密接に結びつく連続した言葉を発したよ、
と言ったとき、一見「簡潔」じゃないので conversational maxims に違反しているように見えるが,
仮に違反してないと前提を置けるのであれば, あえて「歌った」という表現を避けることで「マジでド下手くそ」という意図を伝えたいのだという可能性も出てくる

会話を支配する原則があり、そしてそうした原則があるからこそ、その原則に違反して見せることで言外のコミュニケーションが生じる (p.73)

フランソワ・レカナティはこの会話的推意の理論に関する議論を整理した。その中での表現がわかりやすい

言われた内容と会話的推意の内容とのあいだの推論的関係が、そして聞き手がそれを認識できるということが、会話的推意の理論の基本をなしている (p.97)

グライスの哲学では、発話されている内容が必ずしも「言っている」ことではない、という考え方をする
わかりやすいのは隠喩。隠喩の内容を直接的に解釈するだけでは、それを「言っている」わけではない
真に「言っている」ことは隠喩によって示唆されている

グライスにとって「隠喩」は、質の格率にあえて違反することで会話的に何かを推意する

雪が降ってるとき、寒さの苦手な人がマフラーに顔をうずめて「今日はいい天気だね」と言ったらそれは文字通りではない
一方、雪原の中ではしゃいだあと「今日はいい天気だね」と言ったら言葉通りの意味だろう

行為者の目的や心理が事前にある程度わかっていれば、ある行為(発言含む)のほぼ無限の解釈を狭めることができる

会話的推意に関わるのは、ある文脈での話し手の発話という行為を、協調原理を前提として合理的に説明する仕方で心理帰属をおこなうというプロセスなのである (p.120)

本当に「言う」のではなく「言うフリ」をするだけで会話的推意は成立する
※ ここで「言う」はグライス文脈なので真に意味することをそのままの言葉で伝えることを指す、はず。そうしない発話を「言うフリ」と表現

とか書いてたら、次の章でグライスの「言う」についてちゃんと説明があった
「言う」の概念はわりとあやふや。実際のところ「言う」を明確に定義づけることが会話的推意の理論にとって必須であると、グライス自身も考えていた
...で, グライスの定義した「言う」は次の通り。「U が p と言った」というとき、その意味することは、

  • U は次の条件を充たす事柄 x を行った
    • (1) x によって U は p ということを中心的に意味した
    • (2) x は、ある言語体系において部分的に「p」を意味するタイプに当てはまるものである

中心的にとか部分的にとか、そういう補足を恣意的に導入しているだけじゃないか、とも著者は指摘

グライス哲学には独特のややこしさがある.

グライスによる意味概念の分析は「意味する」という語の適用が真となる必要十分条件を述べようとするものだ。しかし真理という概念に重きを置く概念分析の手法は、グライスにとっては会話的推意の理論を持ち込むことで正当化されるものだった。他方で、意味の概念分析はその会話的推意の理論の基礎理論として採用されることとなっている。
...
いくらか二匹の蛇が互いのしっぽを咥えているようなウロボロス的な様相を呈している。 (p.125)

x が何かを意味するとは、発話者が発話の背後にある意図を「受け手」が認識するよう意図したものでなければならない

著者 (三木) が前著で論じた「話し手の意味の公共性」とは

話し手が何かを意味し、聞き手がそれを理解したならば、話し手は自分の意味したことを引き受けなければならない (p.146)

というもの

x が p ということを意味するとは、

  • 情報伝達的な事例なら
  • 話し手が聞き手に p という信念を生じさせようと意図し、かつ
  • 自分がそうした意図を持っていると聞き手に気づかせようとも意図し、かつ
  • 話し手がそうした意図を持っていると気づくがゆえに聞き手がその信念を持つようにも意図して、x を発話する

ことである。
情報伝達ではなく命令的なパターンだとまたちょっと表現が異なる。信じるだけじゃなく行動させるところまで意図に含む

グライスの分析にとって最大の難関、意図の無限後退問題は、グライスを高く評価している先述のストローソンが提唱したもの

結局の所、グライスは「言う」にしっかりとした理論的基盤を与えることができなかったと結論付けられる。

次の章は、心理に関するグライスの考え方を説明
グライスにとって「意図」とは中心的な心理概念ではなく、他の心理概念をもとに派生的に分析されるものだった

グライスの理性観。理性は推論する能力である。

理性には何らかの妥当な推論規則を使うことができるという非可変的で理性的存在に広く共有された能力と、目的の達成のために推論規則を用いて思考を展開するという、可変的でその使い方において優劣のある能力がある (p.244)

現実世界で理性を使う、というのは、前者を前提にして後者を行使していることになる
理性を本質とする人間にとって、理性のふんだんな利用が一般的な幸福である、と

グライスは「理性」を軸にして形而上学についても議論を展開している。最終章のテーマはそこ。
グライスの形而上学は「構成主義 (constructivism)」というオリジナリティが高いもので、
架空の創造主 (genitor) の立場 (!?) による生物の段階的構成を形而上学として仕上げたもの
数学の構成主義とか社会構築主義とは関係ない。

『大衆運動』エリック・ホッファー

2022-08-13 開始、同日読了


原題、THE TRUE BELIEVER - Thoughts on the Nature of Mass Movement

大衆運動には宗教的なもの、社会革命、民族主義などいろんなタイプがあるが、本書ではそれらに共通したものを対象とする

大衆運動においてどのような教義が教え込まれるかに関わらず、(中略)つねに狂信と熱狂と熱烈な希望と憎悪と不寛容が育まれる。(p.8)

人々はさまざまな理由から聖なる大義に自分の生命を捧げるのであろうが、実際には基本的に同じもののために生命を捧げているのである。(p.9)

大衆運動の魅力。
変化を求める。革命。宗教面だったり国の改変だったり。
人々はなぜ変化を求めるのか?我々は、成功していても失敗していても、その原因を自分の外部に見出そうとする。欲求不満をもつものは、原因たる世界を変えようとする

大衆運動の最大の魅力の一つは、個人のもつ希望に代わる大きな希望をもたらすこと

現代の社会において人々が希望を持たずに生きることができるのは、絶えず何かに熱中して息切れがするほどに呆然としている場合だけである。 (p.33)

どのような大衆運動にも互換性がある。
大衆運動を抑えるには、その代わりに別の大衆運動を起こすこと

運動に参加する可能性があるのは、社会に不満を持つ…貧困者、不適応者、浮浪者、少数派、思春期の若者、野心家、妄想癖のある人、無能力者、極端な利己主義者、退屈な人、犯罪者

興隆しつつある大衆運動が支持者を魅惑し、維持することができるのは、その教義な約束の力らによってでは名倉個人の実存が直面している不安や虚しさや無意味さから逃れるための避難場所を提供することによってである。 (p.71)

これらの人々を無能な自己から解放し、緊密に結びついた集団へと変える、それで大衆運動は成功に向かう

大衆運動は言論人によって開始され、狂信者によって実現され、活動家によって強固なものにされる。(p.242)

『ダーウィンを数学で証明する』

2022-08-08 開始、同日読了


グレゴリー・チャイティン
原著は2012年: "PROVING DARWIN - Making Biology Mathematical"
著者がメタ生物学と呼ぶ部門だ、これは誕生から3年しか経っていない
;; そう?オレオレ定義で部門の設立を高らかに宣言しちゃうの大丈夫?

DNA をコンピュータプログラムにたとえるという話を聞いたことがあるだろうか? まさにそれが本書を貫く考え方である。(p.19)

進化をソフトウェア空間内のランダムウォークとして扱う

人類がソフトウェアを発明して初めて、自然界がソフトウェアに満たされていたことに気がついたのだ、と

ヒルベルトライプニッツの夢。数学全体を包含する形式的公理。これが土台にあり、ゲーデルがそれを不可能であると証明する。
一方チューリングは計算不可能性を発見した

停止確率 Ω ... これは著者独自の呼び方らしい

著者のメタ生物学は、生命系のコンピュータシミュレーション、つまり「システムズ生物学」と呼ばれる新分野を目指すものでは「ない」

ファイヤアーベントは『方法への挑戦』で、科学には完全に一般的な方法は存在しないためつねに創造性が必要である、と言った。

生命体AとBの間の「変異距離」 = -log_2(1回の変異でAからBへ至る確率)

遺伝子は、ドーキンスが『利己的な遺伝子』で主張しているのとは違って、利己的でいたいのではなく、進化したいのだ!性はそのために存在するのであって、まったく利己的ではない。性によって、自分のゲノムの半分が即座に捨てられてしまうのだ!自分の持っているお金の半分を手放してしまう人を、果たして利己的と呼ぶだろうか?性は利己的ではない。創造性を高めるのだ。(p.76)

この人ドーキンス全然読んでなくね?タイトルだけしか知らない口か?居酒屋でタイトルだけ話題に登ってネタにされるレベルの言論
「自分のゲノムの半分を捨てる = 非利己的」みたいな主張はナンセンスで, 生物個体じゃなくて遺伝子が利己的である, というのがドーキンスの主張の大前提である認識. ドーキンス以前に E.O.ウィルソン すら履修していないんでは...

BB(N) ... ビジービーバー. N ビット以下で名前を付けることのできる最大の正の整数
https://en.wikipedia.org/wiki/Busy_beaver
https://googology.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E9%96%A2%E6%95%B0

『物の本質について』ルクレティウス

2022-08-06 開始、同日読了

著者名は伸ばしてルクレーティウスになってる。
『物の本質について』の他に『事物の本性について』と訳されることもある。
原題のラテン語: "De rerum natura"

叙事詩で書かれた、2000年前の自然科学に関するテキスト。正確には紀元前60, 70年とかそのへん。
叙事詩のことはよーわからんが、読み手への呼びかけの形を全面に出したエッセイみたいな感じするな。

長らく忘れ去られていたが、1417年に再発見され、ルネサンス期に影響を与えたとかなんとか。
日本語に訳されている本書自体は 1961 年が最初。

ルクレティウスは(めっちゃ原子論をアピってるし)エピクロス派だが、
エピクロスは紀元前300年ごろのひとだから、直接的な弟子とかではないな。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9

エピクロスは、哲学を概念と論証によって幸福を作り出すための活動と定義し、全生涯における幸福と快を密接に結びつけ、真の快とは、精神的なものであって徳と不可分であり、節制に基づく、心の平安であるとした。
...
一方、エピクロスについての真剣な研究がウェルギリウスルクレティウスらの詩人によって行われ、特に後者による『事物の本性について(De rerum natura)』はエピクロス哲学を熱狂的で絢爛たる詩句で叙述し、迷信と恐怖からの解放を説いた。エピクロス哲学がルネサンス以降の読書人によって知られるようになるのは、ルクレティウスによる[5]。
...
1417年、イタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニが、上記ルクレティウス『事物の本性について』の写本を発見し、エピクロス主義が再び知られるようになった[6]。

エピクロス派は「快楽主義」と呼ばれるが、快楽天的なアレではない。
哲学的思索こそ最高の快楽である、健康であれ、平静な精神を持て、という倫理的利己主義の一種、だとか。

何ものも無からは生じ得ず、ということは認めなければならない。物には、それを元として、それぞれのものが生み出され、空中のやわらかい空気の中へ出現しうべきその種子[原子]がなければならない。(p.20)

物は死滅するように見えても失われることはない。
原子が目に見えないからそんなものはない、なんて言えないよねと、風や太陽の熱を例に上げて説明しようとしている。

物は緊密に見えても疎であり、中には空虚が含まれている。
空虚がなければ物は動くことができないであろう。

さて、物質とは一部は原子であり、また一部は原子の結合によって形成されているものである。この原子なるものは、如何なる力でも、消滅せしめることのできないものである。 (p.32)

空虚を含まないものは破壊できない。崩れない。

原子 = atom = a(できない) + tom(切る) という語源だしな

我々が空虚と称する空間になっている場所には物質は存在せず、
また物質が占めているところには、絶対に空虚なる空間は存在しない

かつて万物の素材は火であるとした昔の人々は真理から遠いはずだ、と。
紀元前500年ごろのヘラクレイトスが唱えた火主説のことを言ってる。
ルクレティウスの時代から見て 400 年以上前か。僕らが江戸時代のことを話すよりも遠くを見ている。
その他にも四元素とかwwwみたいな感じで切り捨てている。

原子論に対する「じゃあどうして世界にはいろんなもんがあるんだ」という(仮想)反論に対して、
この文章も同じアルファベットを使ってるけど色んな意味を表現してるだろう、みたいな現代的な反論をしている。

うーむ、すごく現代的な感覚だ。。。2000年前にここまで到達していたのになぜ。まぁだいたいキリスト教が悪いな。知らんけど

財宝も高貴な生まれも我々の肉体に何の益もない。

原子の満たすべき性質を論じている。科学的手段が使えないので完全にロジックでぶん殴ってるが、けっこう正しいのがすごい

原子は単一の形態ではなく、いろいろな形の原子があるだろうと。
原子に色はない。色も分解していけば原子なのだから、と

精神と魂。animus と anima。ルクレティウスは両者を意図的に混ぜて使う。詩としての語感を整えることを優先したため。
精神も魂も、原子の働きによるものだ、と。
このあたりは現代でも解明しきれてない問題だから流石に卓越した議論を展開するのは無理があるわな。
むしろ最近読んだニコラス・ハンフリーの議論の質もだいたいこんなもんだったぞ。。。
自由意志は存在しない、くらいはもう大方確定してるんだっけ?

肉体から独立した魂は存在し得ない。感覚器がない。と
魂は不滅であるという言説を否定。
精神の本質は死すべきものである。

音や声が聞こえるというのは、すべて耳の中へ侵入して「その原子を以て感覚を打った」ときに聞こえる
映像とは異なり、音は曲がりくねった通路を通過する。だから扉の向こうでの会話が聞こえるのだと。

あー、音が波ってのは発想が至ってない感じか。これも原子で説明しようと「声の原子」みたいなことを言ってる

物から剥離して映像がそこらに浮遊している、みたいな不思議な説明をしてる。

物の映像は多量に、色々な工合に、四方八方あらゆる方向に飛び回っているということである。 (p.187)

これまた、光によってものが見える仕組みを「映像原子」という発想で説明しようとしてるやつか。

世界は神が我々のためにつくったものではない、と断ずる。

「多くのルストラを通じて」 ... lustrum とは 4 年の期間を言う

先ず第一に、我々が現在眼に見ているあらゆる物からは、眼を打ち、視覚を刺戟するような原子が間断なく流れ出て、放出され、飛散しているに違いない。或る物からは臭いが間断なく流れ出ているが、...(中略)...種々なる音も亦(また)空気の中を浸透してやまない。 (p.304)

神々の食物、と書いて、ルビが「アンブロシア」

『イギリス諜報機関の元スパイが教える最強の知的武装術』

2022-07-27 開始
2022-08-05 読了

原題: How Spies Think.
2020年著
情報分析官の考え方を学び、よりよく意思決定できるように、という本

著者はイギリスの政府通信本部GCHQ)に勤務。長官まで務める。

情報分析官は、未知の状況、不確実で不安なとき、その苦痛や混乱に耐える能力を持つべき

著者が開発したモデル、SEES分析

  • 1. Situational awareness / 状況認識 … 何が起こっているのか
  • 2. Explanation / 事実説明 … いま目にしているものをなぜ見ているのかという関係者の動機
  • 3. Estimates / 状況予測 … 事態が異なる状況のもとでどう進展するか
  • 4. Strategic notice / 戦略的警告 … 何がいずれ問題になりそうか

なんとなく言ってることわかるけど、関係者の動機とか、異なる状況のもとでとか、文脈がこれだけではわからないものもある

事実説明では、状況認識に意味を与える
入手できる証拠から最も整合性のある説明を組み立てる。

SEES分析で起こるエラー
何が起こっているか評価することが難しく、状況認識ができない。
情報ギャップによって、新しい証拠を前にしても考えが変わらない
他者の動機に対する理解が浅く、説明が組み立てられない
事態が予想外の展開になり、今後の展開予測ができない
視野が狭いとか想像力の欠如によって、戦略が開発できない
複数の視点でレッスンしていく

  • Lesson#01: 知識は常に断片的で不完全で、ときに間違っている
  • Lesson#02: 事実は説明を必要とする
  • Lesson#03: 予測には十分なデータだけでなく説明モデルが必要
  • Lesson#04: 予期せぬ事態もそれほど驚く必要はない
  • Lesson#05: 認知バイアス
  • Lesson#06: 強迫観念
  • Lesson#07: 偽情報
  • Lesson#08: 相手の立場で考える
  • Lesson#09: 真の信頼関係を構築する
  • Lesson#10: デジタルメディアという"脅威"

レッスン6とかは面白いな…「閉じられたループの中で起こる陰謀論的な考え方の危険性と、警鐘となるべき証拠がいかに都合良くごまかされてしまうか」

新しい情報によって状況認識がいかに変わるかの評価: ベイズ推定
目の前にある証拠から、その起因となる可能性が最も大きなものへと遡る

たとえばキューバ危機は、ソ連キューバに核ミサイルを持ち込む可能性は低いと考えられていたところに、写真が撮られ、マジで持ち込む可能性ありそうという判断に変わった、と。
(この話にベイズ推定持ち込む意味あるか?)
ちなみにケネディ大統領が報告を受けて判断を変え、海上封鎖を行ってそれ以上の建設を防いだ
海上封鎖ってどうやるの

> 海上封鎖(かいじょうふうさ)とは、ある国が海軍力を用いて、他国の港湾に船舶が出入港することを阻止すること
武力で通せんぼか
ケネディ大統領は、ミサイル基地を破壊するための空爆は必要ないと判断。時間的余裕があったから

外れ値は新しい見識の始まり
とはいえ人間は本能的に、一般的なパターンに合わない情報を無視したり、何か説明をつけようとする性質がある

その時の心理状態によって、何に注意を向けるかが変わる

自分が探していたものを情報源に見せられたと思うときは、とくに注意した方がいい。 (p.40)

ノルマンディー上陸作戦とか

オープンな情報から分析する「オシント」

検索エンジンが収集可能なのは 0.03% で、それ以外は「深層ウェブ」で、予め場所を知っているとか閲覧にパスワードが必要とか
深層ウェブの他に「ダークネット」と呼ばれるものがあり、Tor などを使ってアクセスしなければならず、違法な取引や犯罪の情報交換に使われる

事実の意味は、状況にあわせて推測する必要がある。また、意味は考え方の一部であることを踏まえておかなければならない。客観的な事実を示しながらも、感情から生まれる期待や不安が反映されるからだ (p.61)

自明でないことを説明するには、複雑な問題を単純な要素に分解する。だが、情報を解釈するために用いる心象風景が古いと、正しく現実に導かれない
感情的に反応しやすいわかりやすい言葉でラベリングしがち。危険。

オッカムの剃刀。必要以上の仮定をおかない。
証拠 x 仮説をマトリクスにして、各セルにはその証拠がその仮設に矛盾するかどうかを記入。
また、各証拠の情報源と信用度なども記載(最初の列だけ特殊)
ホイヤーの表、と呼ばれる

有利な証拠が最も多い仮説ではなく、不利な証拠が最も少ない仮説を選択すべき

世界をできるだけ正確に説明するために
・事実の選択は特定の説明に偏っているかもしれないと認識する
・事実は自明ではなく、もっともらしい別の説明がつく可能性もある。
・それぞれの説明を、真実である可能性がある仮説として扱う
オッカムの剃刀
・証拠を使って、ベイズ推定により仮説を互いに照らし合わせて検証する
・不利な証拠が最も少ない仮説が、最も真実に近い可能性が高い
・感受性の面から、何が私たちの考え方を変えるのか

予測する。
ソ連の行動を「合理的に」予測したら外れた。合理的な人々が非合理的な政権の動きを予測しようとしたのが失敗要因
1968年のチェコスロバキア進軍とか、最近でもクリミア併合とか。これら、西側の情報分析官は予測できなかった

予測が間違うよくある理由は、信頼できる因果関係がないところでうまく行くことを想像して、超現実的な思考に陥ること

推定と状況予測のポイント
・状況認識からすぐに予測に飛びつくのは「機能的誤謬」。避けるには重要変数の相互作用を考える
・予測には限界がある。予測内容は確からしさの度合いで示す
・発生可能性が少ないが損害をもたらし得るものについて、最も可能性が高いものと同様に考察する
・false positive(誤検知)を下げれば false negative(見逃し)が増加する
・行動能力と行動意図は別物
・他者の動機を理解するときは先入観に気をつける

重大な危険は初期の兆候が弱く、現実というノイズの多い状況においては完治するのが難しいこともある。
…(中略)…
ある出来事の起こりやすさ(確率)と、それが実際に起こったときの影響の度合いから、「出来事の期待値」を予測することができる。
(p.125)

ドイツの難民キャンプに現れ、イラクの生物学兵器開発の事情を知ってるという通商「カーブボール」という化学者
情報を鵜呑みにして証拠として積み重ねた。本当かどうか疑われない。イラク進行の正当化のために大量破壊兵器保有していることを示せと大統領から圧力

結果的にイラク戦争が終わってから「カーブボール」は嘘をついたことを認めた
米英の情報分析官は、ドイツの妨害によりカーブボールと接触できていなかった

人間は情報を自分の思い込みを裏付けるために探したり、解釈したりしがちだ。得られた情報が、これまで信じていたことを支持していると思うと安心する。(p.144)

心理学で言う「確証バイアス」
認知バイアス。情報を自分の都合良いように解釈する
他者が自分と同じように判断するはずだ、という思い込み

人はもっとま恐れるものに注意を惹かれる

有能な人でも平成を失うと妄想にとりつかれる。陰謀論はなお罠度が高い

新たな情報が得られたら判断を変えるのは、正しいこと。これを責めてはいけない
誤情報は意図してない間違った情報
偽情報はひとを欺くための間違った情報

相手の立場で考える

どの国も自国に対するスパイ行為を国内法で違法としている。しかし、国際法では、諜報活動は禁じられていない。 (p.234)

密かに相手の考えを知る(発言の真意の確認も含む)方法があれば、重要な局面で助かる。
交渉資料にある相手の要求に答えればうまくいく、と考えるのは大きな間違い
交渉においては、どちらにも譲れない最低線がある

将来の利益は何か。自分だけでなく、相手も将来の可能性が広がるもの。

疑わしいときは正しいことをする。そうすれば失敗したとしても、正しいことをしようとした、という弁明ができる。

真のパートナーシップは難しい。ウィンウィンの関係と言うのはかんたんだが、実現が難しい。
片方が苦境に陥ったら、もう一方はそれを助けるために犠牲を払う、ということを双方が納得しなければならない。

防衛・安全保障・諜報の世界は、いまやインターネット経由で日常生活に直接入り込んでいる。