『幸せになる勇気』
2017-06-10 開始,同日読了
人は誰でも今この瞬間から幸せになることができる
ただし幸福はその場にとどまっていてはだめで、踏み出した道を歩き続けなければならない
前作『嫌われる勇気』を具体的に日々実践していけばよいのか
哲学と宗教の違い
宗教は物語がある。哲学は物語を排除して抽象の概念によって世界を説明しようとする
哲学には宗教のように「答え」もないし「すべて」もわからない
永遠に歩き続けるしかない
アドラー心理学には「課題の分離」という考え方がある
自分の課題と他社の課題を分ける
前作の復習
人はみな無力から脱して向上していきたいという欲求がある
優越性の追求
「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」エーリッヒ・フロム
続けて「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」
相手の関心事に関心を寄せる
共感は技術である
共感とは、自分が相手と同じ心と人生を持っていたらどうなるか、と考えること
人間はいつでも自己を決定でき、変化できる
でもほんとうはみんな変わりたくない。なぜなら変化は死そのものであるから
今の自分を肯定しようとすると、過去について「いろいろあったけどこれでよかったのだ」と総括するようになる
世界には過去は存在しない
過去は「いまのわたし」の正統性を証明すべく書き換えられてゆく
今の目的に反する出来事は消去される
不幸な過去を自ら必要としている
心の三側面
悪いあの人
かわいそうなわたし
これからどうするか
これからを語るためにこれまでを知る必要はない
目の前にいる存在を知れば十分
子どもたち (に限らない) が問題行動を起こす 5 段階.
アドラー心理学が注目するのはそこに隠された「目的」
- 称賛の要求 ... ほめてもらうこと, 共同体の中で特権的な地位を得ること. いいことをしているのではなく褒められることをしている
- 注目喚起 ... いいことをしたのに褒められない. 褒められないならせめて目立ってやろう
- 権力争い ... 反抗, 不従順. 法に触れる場合は対処が必要だが, それ以外の場合は争いの土俵から降りる. 乗らない.
- 復讐 ... 権力争いを挑んだのに歯が立たない. 認めてくれなかった相手に愛の復讐をする. 認めてもらえないなら憎んで欲しい
- 無能の証明 ... 憎むことさえしてくれないなら, これ以上私に期待するな, と無能であることを示そうとする. 見捨てて欲しいという願い
すべては「所属感」つまり「共同体のなかに特別な地位を確保すること」という目的に根ざしている
コミュニケーションの目的は「伝えること」ではない, それは入り口に過ぎず, 真の目的は「合意の形成」
しかし議論による合意の形成はひどく時間がかかり, コストのわりに即効性と確実性が乏しい
そこで議論では勝ち目がない, 議論にうんざりした, という人が選択するコミュニケーションが「暴力」
暴力はコストの低い安直なコミュニケーション手段で, 道徳的にどうこう以前に人間として未熟
道徳規準は時代によって変わる. そこを根拠とするのではなく「ひとは未熟な状態から成長していかなければならない」という原則に立ち返る
叱責を含む「暴力」は,人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである.このことは,子どもたちも十分に理解しています.叱責を受けたとき,暴力的行為への恐怖とは別に,「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が,無意識のうちに働きます (p.114)
変えられないもの,変えられるもの,そして区別する知恵.ニーバーの祈り
他者の指示を仰いで生きていたほうが人間は楽.
幸福の本質は「貢献感」にある
子どもたちの決断を尊重し,それを援助する.決断に必要な情報や経験が足りなければサポートする.
自分の人生を自分で選ぶことができる状態,それが自立.
アドラー心理学では,叱ることのみならず褒めることも否定する.
ほめることは "能力のある人が,能力のない人に下す評価" であり,その目的は "操作" である (p.134)
褒めることによる「褒賞」が競争を産んでしまう
アドラー心理学では承認欲求を否定する.承認欲求にとらわれると他者から認めてもらうことを願うあまり,他人の人生を生きるようになる
大前提として,我々人間は子供時代,劣等感を抱えて生きている
心の成長に身体が追いつかない.身体だけを見て大人は「子供扱い」するが,当人は己の不完全さを痛感している
人間にとって「共同体感覚」は本能的なもの.身につけるのではなく,最初から持っている.それは人間の弱さゆえのもの
人間の抱える最も根源的な欲求は「所属感」
承認には終わりがない.永遠に満たされない生を送る
そうしないためには,他者からの承認を求めるのではなく,自らの意志で,自らを承認する.「わたし」の価値を自らが決定すること.これを「自立」という
自分に自身が持てず自らを承認できないのは「普通であることの勇気」が足りていない
人と違うことに価値を置くのではなく,わたしであることに価値を置く
;; ここまで話が進んだところで, 青年に対してあなた自身が幸せになれていない, 幸せになる勇気がないことが問題だ, という話の流れに.
人生のタスク ... 個人が社会で生きていくにあたって直面せざるをえない課題のこと
- 仕事
- 交友
- 愛
すべて, 対人関係の話. それらが対人関係の深さ・距離によって 3 個に線引されている.
アドラー心理学では「すべての悩みは対人関係の悩みである」という大前提がある
同時に「すべての喜びも対人関係の喜びである」 ... なので関係を拒否して閉じこもっても, 幸せにはなれない
「信用」相手を条件付きで信じること
「信頼」他者を信じるにあたっていっさいの条件をつけないこと
上の「仕事の関係」は信用であり, 「交友」は信頼.
我々は生きるために働かざるを得ず, 働く上で「分業」の概念を生み出した.
分業する以上関係者との間に信用を築いていくしかない.すなわち避けられないタスク.
人間の価値は「どんな仕事に従事するか」で決まるのではなく,その仕事に「どんな態度で取り組むか」によって決まる
「この人と一緒に働きたいか?」を決めるのは,その人が仕事に取り組む態度,誠実さ
大切なのは,何が与えられているかではなく,与えられたものをどう使うかである (p.199)
キリスト教の「汝の隣人を愛せよ」という言葉は,オリジナルのルカによる福音書バージョンとくらべて大事な部分が抜けている
正しくは「汝の隣人を,汝みずからの如くに愛せよ」とのこと
われわれは「自分のことを信じてくれる人」の言葉しか信じようとしません.「意見の正しさ」で相手を判断するのではないのです (p.204)
自分を愛することが出来なければ他人を愛することも出来ず,
自分を信じられなければ他人を信じることも出来ない
自己中心的な人は「自分のことが好き」だから,自分ばかりみているのではありません.実相はまったく逆で,ありのままの自分を受け入れることができず,絶え間なき不安にさらされているからこそ,自分にしか関心が向かないのです (p.209)
アドラーが「共同体感覚」を唱えるようになったのは,軍医として第一次世界大戦に参加した経験にもとづく
最後のテーマ,愛について.一般では観念的な「神の愛」か物理的な「動物の愛」ばかりが取り沙汰され,「人間の愛」について語ったものは少ない
愛とはたとえば「恋に落ちる」的な無意識の作用ではなく,自動的な機能ではない.
意思の力によって,何もないところから築き上げるものだからこそ愛のタスクは困難
能動的に愛する技術.エーリッヒ・フロムも "The Art of Loving" 和訳: 『愛するということ』を書いてる.
愛とはふたりで成し遂げる課題.幸福な生を成し遂げる.
幸福とは貢献感である.わたしは誰かの役に立っている,と思えたときにだけ自らの価値を実感できる
「わたしの幸せ」を突き詰めると結果的に誰かの幸せにつながる,というのが仕事,分業.
「あなたの幸せ」を考えるのが交友.ひたすら信じて与える,利他的な態度で交友の関係が生まれる
「わたしたちの幸せ」を考えるのが愛.人生の主語が変わる.幸福な生を手に入れるために「わたし」という主語は消えるべき
愛は「わたし」からの解放である
自立とは自己中心性からの脱却.甘やかされた子供時代のライフスタイルから脱却しなければならない.
愛によって「わたし」から解放され,自立を果たし,真の意味で世界を受け入れる
ふたりから始まった「わたしたち」はその対象を広げ,やがて共同体,人類全体にまでその範囲を広げるであろうと
愛することは,あなたの課題です.しかし,相手があなたの愛にどう応えるか.これは他者の課題であって,あなたがコントロールできるものではありません.あなたにできることは,課題を分離し,ただ自分から先に愛すること,それだけです (p.259)
だれもが人間と日々出会っている.その出会いを何らかの関係に発展させるには勇気が必要.
関係に踏み出す勇気をくじかれた人は「運命の人」という幻想にすがりつく
われわれはいかなる人間も愛することができる.結婚とは自らの生き方を選ぶこと.
愛とは信念の行為であり,わずかな信念しか持っていないひとはわずかにしか愛することが出来ない
愛する勇気 = 幸せになる勇気