『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ

2022-05-11 開始
2022-05-13 読了

2017年 出版
原著はイタリア語。タイトル原題 "L'ordine del tempo"
Google 翻訳にかけると日本語で「時間の順序」、英語だと "The Order of Time"。実際に英語版はこのタイトルで出版されている。

時間が存在しない云々は著者が新しく発見したわけではなく、既知の事実を詩的に表現し直しただけっぽい。

6年くらい前に
http://georges-canguilhem.blogspot.com/2012/03/blog-post_18.html
この方のブログを読んでジュリアン・バーバーの同主張に出会っていた

原題が英語で言えば "The Order of Time" なので、著者が言いたいのは「時間がない」ということじゃなくて「時間という概念はそれ自体で世界に最初から存在するもの (raw data 的なもの) ではなくて、人間が世界を解釈する過程で生み出したもの。その解釈において"順序"が特別な役割を持つ」みたいなの?

数式はほとんど登場せず唯一出てくるのは熱力学第二法則まわりだが、
「方程式の中のこの変数が」みたいな話を文章で展開するのでむしろ数式見せて欲しい気もする。それもあって科学書というにはポエミー。
リズム感やら語り口で読み物として割と好きな人は好きな感じする。論の厳密さを求める人は嫌な顔するかもしれん。僕は好き。

数十万で買える高精度な時計を使えば、高所の方が時間が速く流れることを誰でも確認できる。
時間は昔考えられていたように固定でもなく一定時間で流れるわけでもない。

クラウジウスの提唱した「エントロピー
これが絡むときだけ、行ってしまえば熱が絡むときだけ、時間が現れる。
それ以外のニュートン方程式アインシュタイン方程式も時間の要素はない(ほんまか?)

熱力学第二法則: ΔS ≧ 0
これは本書で出てくる唯一の数式。
;; もっと複雑に色々条件があったような気がするが

熱やエントロピーという概念は、自然を近似的、統計的に見たときに現れる。
我々の記述よりもずっとミクロな世界では未来と過去が区別されない。後で詳しく述べる

電磁気学の方程式で、時間tのほかにt'をまた時間と解釈しなければ成り立たない。
周知の事実だったが、誰も意味をわかってなかった。アインシュタインが理解した。tはじっとしている視点の時間で、t'は動いている視点の時間だった。

天体望遠鏡で見える星の光は過去の姿。立ち止まってその事実を噛み締めよ、と。
何光年も離れていれば明らかに「観測できるものは現在ではない」が、程度の問題であって、目の前に見えるものは厳密には現在よりもちょっと過去。つまり、いまここにある現在に対応する特別な瞬間は存在しない

宇宙全体で定義できる「今」は存在しない。何らかの形態が「今」存在して時間の経過で変化する、という見方自体が破綻している。

速度によって時間が遅れることを発見した10年後、アインシュタインは、質量によって時間が遅れることを発見した

アリストテレス「時間は変化を計測した数に過ぎない」
ニュートン「何も変化しなくても経過する時間が存在する」

正反対の見方。いまのところニュートンが優勢のように見える。
物体についても二人は意見が異なる

アリストテレス「空間は物体の順序でしかない」
ニュートン「物体は空間の中に置かれている。物体と物体の間には空っぽの空間がある」

アインシュタインは、アリストテレスの時間とニュートンの時間を統合した。

時間の最小単位。
時間は量子化されている。粒である。連続ではない。
プランク時間と呼ばれる最小の時間単位。10^-44秒

時間は方向づけられていない。過去と未来の違いは、この世界の基本方程式のなかには存在しない。それは、わたしたちが事物の詳細をはしょったときに偶然生じる性質でしかない (p.92)

世界の基本方程式に時間が存在しないとしても、世界には「変化」がある。
事物は存在しない。
事物は「起きる」。出来事である。

この世界の時間の構造は一直線につながっているわけではない。もっと複雑。

「現実」とは何か。何が「存在」しているのか。「この問いは間違っている」というのがその答えだ (p.110)

現実という言葉も存在という言葉も曖昧で、意味がたくさんある。自然に関する問いとしては使えない。
人間の使う言語は過去/現在/未来の活用がある。そのような言葉は世界の時間を記述するには向いてない

時間変数をまったく使わずに初めて書かれた量子重力の方程式: ホイーラー=ドウィット方程式
著者が研究しているのはこれを発展させた「ループ量子重力理論の方程式」
これは、物質やら素粒子、光子、電子、重力場などなどを同じレベルで記述する。が、万物の統一理論というわけではない。これまでの世界の理解を一貫性のある形で記述することを目指している。

標準的な論理では
時間 → エネルギー → マクロな状態
の方向で考える。だが逆に見ることもできる。
マクロな状態 → エネルギー → 時間
マクロな状態を観察することで世界のぼやけた像を得て、それをエネルギーを保存するまぜあわせと解釈する。すると、そこに時間と呼べる性質が見えてくる

マクロな状態によってある特定の変数が選ばれ、それが時間のいくつかの性質を備えているのである (p.135)

マクロな状態によって定められた時間を「熱時間」と呼ぶ。我々が通常「時間」と呼ぶものに近い性質を持っているが、イコールではない。
熱時間には方向がなくて、過去と未来の区別がないから。

過去と未来の違いは、すべて「かつてこの世界のエントロピーが低かった」という事実から来ている
なぜか?
エントロピーは視点による。B にとって A のエントロピーとは、A と B の間の物理的な相互作用では区別されない A の状態の数。
わたしたちの目にはこの世界の始まった頃のエントロピーは低かったように見えるが、それは世界の正確な状態を反映したものなのか?違う。世界を記述する際のマクロな変数が少なかったのでエントロピーが低かった。わたしたちはさまざまな宇宙の性質の中の極めて特集な部分集合を識別するようにできていて、そのせいで時間が方向づけられている。

;; 人間原理?いや物理的な系のレイヤーで「わたしたち」と言ってるのか。その後で以下のような説明があった:

ここで「わたしたち」といっているのは、自分たちが広く接することができ、宇宙を記述する際に用いている物理変数の集まりのことである (p.148)

世界を「外側から」観測することはできない

我々は時間と空間の中で構成された有限の過程であり出来事である
アイデンティティについて三点:
1. わたしたち一人一人が世界に対する「一つの視点」と同一視される
2. 自己とは、まわりの人々と関わるために開発してきたヒトという概念モデルを自分自身に投影したもの
3. 記憶