『(日本人)かっこにっぽんじん』橘玲

(日本人)

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日本は特別じゃない

タイで「空気を読む」ことをグレンチャイという ほほ笑みの国 笑みが13種類,別の意図を表す 研究者ホームズはグレンチャイが行われる関係を「気配りの世界」と名づけた.じつに日本人的

タイの会社で出世するには,目立たず自主性を発揮せず責任を取らないこと. 濃密な人間関係の中で契約よりも気配りやなぁなぁを重視するのは何も日本やタイだけではない.中国や韓国でもある.

日本の経済発展を見て研究しに来た欧米人が「日本の特殊性」とみなした文化は, 何の事はない,アジア世界ではありふれたものにすぎない.

オウムがサリンをまき阪神淡路大震災が起こった1995年にエヴァ放送開始(1995.10-1996.3) 1999年『国家の品格』がベストセラーに. 著者は国際人と言っても良い数学者.市場原理主義を「敵」とみなす

貨幣空間と人間関係の重み(政治空間)では別の力学が働いている

ヒトはずっと集団(共同体)で生きてきたので原題のような無縁社会には根源的な不安を感じたりもする.

最終兵器「武士道」

幕末に生まれた新渡戸稲造キリスト教に入信してアメリカに渡り,そこで"英語で"書いたのが「武士道」.日露戦争で大国ロシアを破った"新興国"の秘密を知る本としてよく売れた.アメリカ人ならだれでも知ってる「騎士道」に対比させた.その生まれから武士はキャラクター商品であった.

太平洋戦争末期に文化人類学ルース・ベネディクトが日本を統治するための情報として軍から依頼され,日本人を分析した結果をまとめたものが『菊と刀』.概要としては日本人の心性を

  • 「菊」 -- 審美性
  • 「刀」 -- 好戦性(武士道)

に見出して「罪の文化」に対する「恥の文化」として分析したもの.

が,ベネディクトの仕事はその成り立ちからしてアメリカと日本の「違う所」を探さざるを得なかったことが特徴.日本を統治するにあたり共通性は無価値だったので省かれた.

国内外でよく売れた『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』あたりもこの「アメリカから見た日本人の差異」がベースにある.

実際はそんなに特殊じゃない.日本人を特別視する思想こそが日本の国際化を阻んでいる.

ヒトの本質

確率の印象操作.無料の競馬予想.空メールを送ると当たりの選択肢が送られてくる.外れた人は無料だからと忘れるがあたった人は「うおおお!」となる.そんな人に「俺のこと疑ってただろ? でも今回は証明してやった,次も情報が欲しければカネ払え」とやる

アメリカ発の心理ビジネスが日本に流れ着いたのである.これはメタに見れば

「人は確率的な出来事をうまく理解できない」

という事実に帰着する.脳にプリインストールされた機能が「因果律」であるが,世の中は因果律道理に動かない.ここで齟齬が生じる.

;; ロックの「悟性」と「理性」の区別はここでも生きるなぁ. なるほど

男と女は異なる生存戦略を持つので恋愛の不毛なるものが生まれる.

しばしば誤解されるが,進化とは下等な生き物から高等生物への発展ではない.単なる適者生存.

極限状態で人喰いするのは本性の発露.サルでは良く他の群れを襲ったら子持ちの母ザルに対し子を喰うことで妊娠可能な状態に持ってくという合理的な行動がある

農耕とともに「土地への執着」が生まれる.縄張り意識の出来上がり.

中国や日本では「紀元歴」がなく,天皇や皇帝が変わるたびに世界はリセットされる.「農耕」の永遠に循環する世界観から.

人種によるデフォルト戦略の違い(by 山岸ら)

日本人は,曖昧な状況に置かれると,無意識のうちにリスク回避的な選択を行う.だが情強が明確であれば(自由になんでもやっていいのだとわかれば),アメリカ人と同様に自己主張をする.

アメリカ人は逆に,曖昧な状況では自己主張をすることが最も有利な選択だと考える.だが過度な自己主張がひんしゅくを買うような場面では,ちゃんとその場の空気を読んで自分を抑えることも出来る(遠慮する).

p.113

「水」から見る日本

日本,降伏後マッカーサー元帥様宛として様々な以来というか従います手紙が舞い込んだ.ここに日本人の特性が見える.

山本七平『空気の研究』は実は三部作であとにふたつ『水の研究』と『日本的根本主義について』がある.この「水」は今で言うKY的な空気の意味も含むし,もっと漠然とした存在として影響力を持ってくる.

「水」とは「空気」を崩壊させる一種の「消化酵素」である,と.ただこの後の山本の議論は瞑想しちゃってるっぽい

人生の目的的なアンケートとして

  1. 親が私を誇りに思って欲しい
  2. 他人に迎合するよりも自分らしく有りたい
  3. 友人の期待に応えたい
  4. 自分の人生目標は自分で決める

という選択肢を与えた所アメリカ人は家族(A)を重視,中国韓国は(B)自己実現に加えて(A)親(D)友人も重視,しかし日本は「家族や友人の期待に反しても自分の人生の目標は自分で決めたい」という結果に.もっとも個人主義的な生き方をしてるのは日本人.

根本的に見ると「日本人はもっとも世俗的な人種」であると言う仮説でけっこう説明できる.世俗的とは「得ならやるけど損ならやらない」ってやつ.韓国台湾併合して広げていくのが「得」だと思ってたが戦争で損傷受けていっぱい死んで「ああこれ損だわ」と思ったのでいまは極端な無気力に走ってるだけ.性格は分裂していない.

これまでの常識に反して,日本人の特徴は「ムラ社会 = 空気の支配」ではなく,世界でも突出した「世俗性 = 水」にある.

p.146

水視点から眺めると新たな発見のあるオルタナティブ日本人論が出来る.

日本人以外は家族を分断不可能な一つの単位として捉えているため,日本の「単身赴任」は理解できない.これは,日本の世帯の実体が「夫が一世帯,妻と子供が一世帯」の二世帯構造になっていることに起因する

「一人暮らしという恐ろしいことをする」

日本では,人間関係は"場"から生まれる."場"を失ってしまえば,私たちは孤独に戻っていくしかない.

p.160

日本は本質的に無縁社会

能力は比較優位と比較劣位で決める.「一番出来る人が全部やる」のではなく,比較優位にあるものに集中することで総利益は大きくなる 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』より

グローバリズム(自由貿易)は基本的にユートピア思想 紀元前のグローバリズム, 古代ギリシアデモクラシー.

グローバル空間には,絶対のルールがある.そこでは,人種差別的な発言は許されない. もちろんフランス人夫妻だってこんなことは当然承知しているはずだが,インドで日本人と働いている彼らは,シンガポール人を批判しても日本人である私が気にしないことを知っている(中略)

それに対してオクラホマの田舎から来たアメリカ人には,シンガポール人と日本人の区別などつかなかった.だから彼は,フランス人の社長夫人に対して,「君はこのアジア人を侮辱しているのか」と難詰したのだ.

この体験で私は"グローバルスタンダード"を内面化するとはどういうことかはじめてわかった.

p.215

グローバル空間ではローカルルールはグローバルスタンダードに対抗できない

アメリカ人は,自分たちだけのローカル空間と,異なる人種が同席するグローバル空間をごく自然に切り替える.

能力評価は,人種宗教性別年齢などの"差"を弾いた後の最後に残ったみちしるべ.ある程度生得的なのはわかってるけどここまで否定しちゃったらもう何も差をつけられない

近年は日本でもベンチャー企業を中心に能力主義が導入されているが,

p.210

このへんは流石に著者は実態知らない感じするな.そんなキレーごとじゃねえよ

意思決定には3つの方法がある

  1. 全員一致の妥協
  2. ルール原理主義
  3. 独裁

責任

1945年9月11日,東京・世田谷にて東條英機内閣総理大臣が占領軍が来たことを知り自決を測る.結果失敗して敵の囚人となったことに日本中が愕然とする.

天皇が生前に退位して上皇となるのは歴史上いくらでもあるし,戦争責任を取る,という形で退位する(死ぬわけじゃないし)というのはごくあり得る発想.天皇制反対グループのみならず旧日本軍の軍人なども唱えた.

原発事故に触れ,

恐ろしいことに,私たちの国は,パニックになって怒鳴り散らす政治家がいなければ,原発事故という未曾有の災害に対処できなかったのだ

p.238

と言う.

"呪術的"責任は範囲の定めのない無限責任.関わりのあるものは何らかの"ケガレ"を負っているとみなされ,その「責任」をとらなければ社会全体の"ケガレ"がぬぐわれない.

この恐ろしく過酷な無限責任が日本を「無責任社会」にした.責任を取らされたときの損害が限られておらず(無限),あまりにワリにあわないので誰もが責任を逃れようとする.その結果責任と権限が分離して,究極的には天皇を"空虚な中心"とする,誰も責任を取らない奇妙な無責任社会が完成する.

近代社会では自由は自己責任と表裏一体.

だが呪術的な無限責任社会においては,自己責任は「ルールのないまま一方的に責任だけを押し付けられる」

自己責任を取れない社会における致命的な弱点は「組織に統治(ガバナンス)構造を作ることができない」こと

株主主権というのは,そもそもウソ.つーかタテマエ.会社のガバナンスを機能させるための一種の神話.なんとなれば組織の権限と責任を決めるために「会社の所有者は誰か」という基本設計がさけて通れないため.

原子力損害賠償法は,事業会社に原発事故に対する「無限責任」を追わせている.近代的責任とは有限責任のことなので,そもそもこの法律が近代的じゃない

明治日本は伊藤博文山縣有朋などによって作られたベンチャー国家で,彼ら"創業者"によって統治されたことでガバナンスは形骸化している.

戦後日本は占領軍から統治構造の組み直しを強制されたが,日本人は顕現と責任が一対一で対応する近代的なガバナンスを理解することができず,形式だけを整えると,その内部に自分たちがよく知るムラ社会をつくっていった.

p.255

統治のない社会に責任なし.

ぼくたちの失敗

日本の政治の失敗について,「どうすればいいか」はいろいろ議論されてるけど「どうしてこうなってしまったのか」にはある程度合意が見えてる.まずそれを紹介する.

前提として,国家統治に重大な問題を抱えているのは日本だけじゃない.世界共通

橋下市長の"ハシズム" -- ブレーンの堺屋太一マッキンゼー出身の上山氏も強力.

ハシズムは,言ってしまえば「純化したネオリベ」である

前提知識(ネオリベ/ネオコン)の説明.

政治哲学は大きく

の四個にわかれる.ネオリベとは新しいリベラリズム(新自由主義).

が,現実にはネオリベとオールドリベラルは憎みあってたりして"ネオリベ"と"ネオコン"は既存政治勢力からは忌み嫌われてる異物.

"ネオ"には「既存を引き継ぐ」というのではなく「既存にNOを突きつける」,"アンチ"的な意味が込められてる

歴史的に.ヒロシマナガサキの教訓から次の世界大戦は人類滅亡になると気付かれ,冷戦は代理戦争という形を取ったわけだがこのなかで国家は「福祉国家」へと変貌を遂げる.つまり国民の幸福の最大化.

そのへんでフリードマンが登場して「中央集権福祉国家を否定,ケインズ古典的自由主義へ戻るべき」と主張.ベストセラー『選択の自由』

要は大きな政府は持続不可能だ,と.福祉国家の行き詰まりは世界共通の病理.そこを打破しようとするから「ネオ」は既存政治と激しくぶつかるわけ

ネオリベは政府の機能を民営化して市場競争に晒す経済思想.とくにハシズムは徹底した個人主義がその特徴.

日本は基本的に地縁や血縁を捨て去った世俗的な国民で「自分のことは自分でやる」のが当然と考えているため「超個人主義」に親和性がある

最後にTwitter, 匿名掲示板の評判形成の話.

(日本人)

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