『闘うプログラマー』G・パスカル・ザカリー

闘うプログラマー[新装版]

闘うプログラマー[新装版]

20150329開始,同日読了

原題: SHOWSTOPPER! (1994)

カトラー.DECの天才プログラマ

その時の仕事以外にまったく関心を払わない.それどころか馬鹿にする.

プログラミングは,不公平がなく明快なのが魅力だった.コーディングについて議論になったとき,意見ではなく,論理だけで決着がつき,しかも,かならず答えが出た.

p.39

ゲイツ,高校の先輩ポール・アレンとともに最初のパソコン「アルテア」を雑誌で見て,欠けている汎用ソフトウェアを作ろうと思いつく.

6週間でBASICを作り,これを売るためにマイクロソフトを設立.アルテアはすぐに消えたがBASICインテル製マイクロプロセッサ用として作ったために残った.

1988年,33歳の時点でゲイツは億万長者になっていた.5年はコードを書いていなかったが部下の書いたコードチェックは欠かさない.

ゲイツの経営方針は「周りに優秀な人を集める」というシンプルなもの

カトラーがDECで「プリズム(マイカ?)」開発が中断され辞めたがっている噂を聞き,会う.マイクロソフトへの侮蔑を隠そうともせずDOSはおもちゃだと言い切るカトラーに本物だと判断.その時点で46歳.

入社し,NT(New Technology)を開発.カーネルユーザランド(と呼ぶかは知らんが)を分離したクライアント/サーバモデルを提案. ゲイツは「遅くなる」といって反対したがカトラーは「遅くならない」と断言,そのまま進める.

後の方になってNTがWindowsシリーズに仲間入りし,WindowsNTと呼ばれるように. Windows式のAPIを採用,IBMOS/2形式を捨てた.このへんでIBMとの決裂が目に見えてくる. ファイルシステムも新しいものに...NTFS(!)を作成.OS/2形式を捨てる.

2年くらい開発した後,ドッグフードを食べ始める.つまり日常の仕事をNTでやりはじめる.バグがどんどんみつかる.

SHOWSTOPER, プレゼンを中断させるほどの深刻なバグ.

経営者が現場に首を突っ込みすぎるのも危険.ゲイツはそのバランスをとるのがうまかった.カトラーとは適切な距離をおいた.

出荷された最初のバージョンは3.1. 当時のWindows最新版が3.1だったので.