『国家(上)』プラトン

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20140903開始-20140908読了 図書館で借りた.

著者はプラトン, ソクラテスの議論を記録. ソクラテス一人称.

上下巻, 全体の流れ

  • まず、正義とは何か
  • 国家と個人における正義とは何か
  • 理想国家と哲学
  • 哲人統治のための教育
  • 不完全国家
  • 創作の考察と正義の報酬

感想

  • 技巧のない対話ですげー読み易い
  • ゼウスに誓いすぎ

以下メモ

嘘をついたり金を借りたままでびくびくしながらあの世へ去らなくてすむことがお金の一番の効用 詩人シモニデスの考え「<正義>とはそれぞれの相手に本来ふさわしいものを返し与えることである」 これを叩き台にして, 別の<正義>の定義を導き出していく.

;; 当時の詩人は最も多くの過去を知っている職種だった, とかいう感じだろうか

技術は働きかける空いての利益になることを行う 医術は医術の利益のためでなく身体の利益のためにぎじゅつを使う 同じく知識も、弱い者の利益になるように使うものだと 技術はそれぞれに区別されないといけない

;; 「考えて行くとhogeの仕事はすべてでしたー」みたいな言説への反対意見に使えそう

「そうすると, それぞれの技術がわれわれに提供する利益もまた, 何かそれぞれに固有のものであって, 決して共通のものではないわけだね? たとえば, 医術が提供するのは健康, 船長の操舵術が提供するのは航海における安全, 等々といったように」

上巻 p.71

不正な方法で物事を成し遂げた集団について

彼らの内には何ほどかの<正義>が存在していたことは明らかであり, その<正義>こそが彼らをして, 自分たちが襲う相手に対して働く不正を, 同時にお互いに対してまでも向けることを控えさせ, かくてこの<正義>のおかげで彼らは, 当面の行動を果たすことができたのだ. ただ, 彼らは半分悪人であるから, <不正>に促されて悪事のほうへと向かったわけなのだ. もし全面的に悪人であり, 完全に不正な人々だったとしたら, 事をなすのもまた完全に不可能であるはずだからね.

上巻p.92

局所的な正義

正しいこととは「正しくある」こと自体は幸福ではなく, その結果に利益があるからしぶしぶ行うようなものではないか? という疑問

一旦個々人の正義で行き詰まる. そこで大きなところから考えようとなって国家の成り立ち, その中に見える正義と不正を考えてみようと大きく自覚的に脱線

;; 肯定してばかりで対話の体をなしていない

どのような神話を語るべきか, というのをいちいち同意していってるけどおもろないな

仮定している国家... 各人がひとつのことを行い, 二面的な人間も多面的な人間もいない国家

国の1部階層ではなく, 国の全体が幸福になることを目的とした国家. 国の守護者は資産も持たず立派な家も持たず, 国を見張ることだけをしなければならない.

富と貧乏, そのどちらによっても国民は己の役割を果たせなくなる. 富があると仕事しなくなり, 貧乏だと必要な道具が買えないなど.

他国との関係において, 他国はすべて自分たちの作る理想国家とは一線を画したものという想定

;; 実際問題として, 誰が何に適しているかはそう簡単に判別できるものではない, という事実があるな

細々した風習のことは法律には記載しない. 立派で優れた人たちは規定される必要のある法律のほとんどを自分たちで見出すことができるため.

この完璧な国家は<知恵>と<勇気>と<節制>, そして<正義>を備えている. なので先の3ツを見つけ出してしまえば残っているものが<正義>だ

;; なんでだよwww

国家の<知恵>は前述の"守護者"のもとにある. それ以外の専門家たる国民の誰も, 国家そのものに関する知恵を持っていないため

「<勇気>とは」とぼくは言った, 「一種の保持であるとぼくは言うのだ」 「保持といいますと, いったいどのような?」 「恐ろしいものとは何であり, どのようなものであるかについて, 法律により教育を通じて形成された考えの保持のことだ. また, その考えをあらゆる場合を通じて保持しつづけると言ったのは, 苦痛のうちにあっても, 快楽のうちにあっても, 欲望のうちにあっても, 恐怖のうちにあっても, それを守りぬいて, 投げ出さないということだ」

p.287

<節制>とは一種の秩序であり調和. 国家の全体に同じ歌を歌わせるようなもの.

で, ここまで来て<正義>とは国家を立てるときに原型とした原則がそうだったのではないかと気付く. その原則とは「その人の生まれつきが本来もっとも適しているような仕事を, 1人が1つずつ行わなければならない」ということ. すなわち「自分のことだけをする」ということ.

では国家に見出した<正義>を個人の中に探してみよう. ひとりの人のそれぞれの部分が自分のことだけをする場合, その人は正しい人ということになる.

不正とは, 人の中にある<勇気>, <知恵>, <節制>のある種の内乱である

;; ある種の性善説なんやな... それぞれの人が心のあるべき機能をあるべき形に保てばそれが正義である, と

国家は女子供を共有状態にするのが理想的(法はとりあえず置いといて) すぐれた男とすぐれた女を交配する.

女は20-40歳, 男は25-55歳のあいだが"壮年の盛"であり最も活力がある時期でここで子供をもうけるべき.

そもそもこの国家は実現可能か? 理想のとおりにはもちろん行かない, なるべく近くなるように努力する.

現在ある国を理想に近づけるための最小限の"変革"は何か? => それこそが哲人統治, 哲学者を王とすることである.

あるいは現在の王たちが真実にかつ十分に哲学するか.

学習について好き嫌いを言う者, とくに, 年が若くて, 何が為になり何が為にならぬかがまだわかってもいないのに, そういう態度を示すような者を, 好学者であるとか愛知者(philosopher, = 哲学者)であるとか言うわけにはいかぬだろう

上巻 p. 407