『エピジェネティクス革命』ネッサ・キャリー
- 2011 年出版
- 2015 年日本語版
この実験は、「...」という仮説を検証するために考案されたものである。これらの実験から得られる結果としては、以下の二つが考えられる。<想定される結果その 1>
仮説は正しく、...である。このような状況では、...できず、...できない。<想定される結果その 2>
仮説は間違いであり、...である。
(p.8)
体細胞核移植 (Somatic Cell Nuclear Transfer: SCNT) ... ジョン・ガードンの実験
;; 仮説は反証可能でなければならない。
ダーウィンが自然選択による進化の理論を考え出したとき、彼は遺伝子のことを何も知らなかった。メンデルがオーストリアの修道院の菜園で、世代を通じて正確に受け継がれるエンドウの遺伝要素についての考えに思い至ったとき、彼は DNA のことを何も知らなかった。これらは大した問題ではない。彼らは誰も見たことのないものを見つけ、その発見によって、私たちは突如として新しい世界観を手に入れたのである。
(p.12)
ジョン・ガードンから 30 年後の日本の研究室にて、大人の細胞からクローンを作成する新しい方法 (つまり SCNT ではない方法) を考案
今でも、核移植によるクローンは簡単ではない。ドリーが生まれニュースをクローン生物がさわがせる現代であっても、その成功率は非常に低い。問題点は、体細胞の核を卵に移植する作業に人手が必要であること。
現実的な問題を解決するために私たちが欲しいのは、クローン生物の作成ではない。多様性のある細胞が欲しいのである。
大人の核を未受精卵に入れると "reprogramming" が起こった。卵の細胞質に含まれる何かがリプログラムを引き起こしたのである。
ES 細胞を用いてリプログラムに必要な遺伝子を絞り込んでいき、2005 年ごろには 20 個ほどになっていた。山中教授と高橋博士は 24 の遺伝子リストを網羅的に実験を続けて 4 個の遺伝子セット同定。Oct4, Sox2, Klf4, c-Myc であり、これらは Yamanaka Factor とも呼ばれる。2006 年 Cell に掲載。
... 第二章で iPS 細胞について。エピジェネティクスそのものというよりは少し前準備ぽいところ
エピジェネティクス修飾は細胞分裂を通じて伝えられる
エピジェネティクス修飾のうち最初に発見されたのは DNA メチル化
DNMT1 酵素によって、DNA 複製後にもメチル化パターンが保存される。保守のためのロジックをバックグラウンドでもう一つ付け足したという状態
あと他の例としてはヒストン修飾 (アセチル化)。1996 年、デヴィット・アリスによって発表される
DNA メチル化による 0 or 1 と比べるとヒストン修飾は複雑
ヒストン修飾によって、DNA 変異を確定する前に Dry-run 的なことが出来るかもしれない
ヒストン修飾や DNA メチル化によって起こる小さなゆらぎは、最終的に固定されて娘細胞へ伝えられるのかもしれない
六章 - 父親の罪
ラマルクの研究を単に嘲笑するのは大きな間違い
もし 19 世紀以降の進化的理論をひとつの段落でまとめようとするならば、以下のように言えるだろう。
遺伝子のランダムな変化は、個体における表現型の差を生み出す。ある個体は他の個体より生存の適していて、子孫をより多く残す可能性が高くなる。これらの子孫は同じ有利な遺伝的変異を親から受け継いで、さらに繁殖に成功するだろう。何世代にもわたってこれを繰り返すことで、最終的に独立した種が進化する。
(p.120)
環境からのフィードバックは、次世代に伝わるためには、何らかの方法で DNA という台本に書き込まれる必要がある。
獲得形質の遺伝が実際に起きているという証拠はいくつも見つかっている。
染色体のインプリンティング -- 雄雌間における分子レベルの競争
"醜い事実がひとつでもあれば、美しい仮説の息の根を止める" by トーマス・ヘンリー・ハクスリー
偶然による発見 - 有名な例はペニシリン. しかし人類史上初めてペニシリンがその事象に出くわしたとは考えにくい. 問題は心構えである
クリック共同研究のロザリンド・フランクリン - 37 歳でこの世を去りノーベル賞受賞が叶わなかった女性.ドラマ性あるので DNA 回で主人公 (現象側) に据えても良いくらい