『神学大全』トマス・アクィナス

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20141003開始, 同日読了(2巻)

全2巻. 本当は50年近くかかって翻訳したでかい本体があるらしいが, とっつきにくいこともあり注釈付きのチュートリアルコース2巻, みたいな位置付けらしい.

西洋哲学史と『神学大全』. トマス以前はここに集約し, トマス以降は『神学大全』をひとつの基準枠として細分化してきた.

神学者トマスにとって哲学者アリストテレスの解釈は本職ではなかったが, みんなちゃんと理解してないように思えたため仕方なく"註解"を書く.

神学大全』は以下の様なやや特殊な討論形式を取る.

第X項 AはBであるか. (トマスが主張したいもの A=B)

(反論) AはBではないと思われる. そのわけは...
1. 異論根拠1
2. 異論根拠2
3. 異論根拠3
しかし反対に, ...(反対異論). 何かの引用が多い.

答えて言わなければならない... (トマスの主張)

それゆえ,
1. については言わなければならない... (異論への反論1)
2. については言わなければならない... (異論への反論2)
3. については言わなければならない... (異論への反論3)

神を論じながら世界を論じている. 現代読むなら適宜読み替えるべき.

第一巻

  • 神学は学問であり, 知恵である.
  • 哲学以外にも神学が必要である, 人間にわからないことを示す.
  • 神学は実践的ではなく思弁的である
  • 神学は他の学問より高位である(神は間違えることがない, 理性を超越する学問であるetc)

;; あたりまえだけど, バリバリ聖書から引用してて興味深い. 聖書の記述を元ネタに哲学していく, というのは宗教的記述から知恵への脱皮を見ているようで面白いな. トマスに言わせれば神学の方が哲学より高位の学問らしいけど

他にもアウグスティヌスアリストテレス形而上学』が引用されてる.

以下は『神学大全』の全体像を表す分類でもある

  • (1). 神について
  • (2). 理性的被造物の神に向かう動きについて
  • (3). キリスト(人間であるかぎりにおいて神へ向かう道である)について

さて神の本質については, まず第一に神は在るかということが, 第二にどのようにあるか, というよりはむしろ, どのようにないかということが考察されなければならない. 第三に神のはたらきに属することがら, すなわち知と意志と能力とについて考察されるべきであろう.

p.73

「神が在る」という命題は, それ自体としては自明である. なぜならこの命題の述語は主語と同じものである. じっさい, 後にあきらかにされるであろうように, 神はその存在そのものなのである. しかし我々は神の「何であるか」を知らないから, この命題は我々にとっては自明でなく論証を必要とする.

p.78

神は存在するか? への異論「神が存在しないと仮定しても様々な自然現象は説明され得るから神仮定しなくてイイ」 反論「自然が作用するのは上位の命令によるから, やはり大元の命令者としての神が必要」らしいけど反論になってねえな

  • 神は存在そのもの
  • 神は本質的に善. また本質的に善である唯一の存在.
  • 神は無限である. また無限である唯一の存在.
  • 神はすべてのうちに存在する. また以下略
  • 神は不変である

  • 時間 < 永劫 < 永遠 ;; 訳語だとよくわからんな

第二巻

  • 神の存在は目で見ることが出来ない

神の結果はその原因に依存するものであるから, われわれは結果よりして神について, それが「存在する」ということを認識するところまではみちびかれることができる.

p.81 2巻

  • 神は自身のうちに知を持つ
  • 神は自身を知性認識する
  • 神の知性認識は神の実体そのものである ;; もうわかんねえなこれ

;; 神ドリブンの世界認識は面白いけどそっから一歩も先に進まないので事実かどうかに関わらず捨てたほうがいい, という結論にはならなかったんだろうか. そちらは神学者以外が進めていたのか