『ソウルダスト―〈意識〉という魅惑の幻想』ニコラス・ハンフリー

2022-07-07 開始
2022-07-09 読了

意識は脳内のマジックショー
ニコラス・ハンフリーの 2011 年の著作


著者の前著『赤を見る』の最後数ページを出発点としている
あれ?『赤を見る』読んだと思ったけど記録にないな…

目が覚めるということ。センシェンス(感覚を意識すること)。物質がどうして意識ある心の状態を経験しうるのか。

簡単な terminology
著者が言う意識は「現象的意識」
主体に「現象的意識がある」とは、その主体であるとは何かのようなことである、という何かがその瞬間に存在すること
クオリアは感覚の特徴
クオリアという感覚の特徴を「持つもの」として感覚を経験することは、それに相当する心的表象を形成することである
心の状態としての意識は、そのような心的表象を抱いている認知的状態

意識経験は第三者からどの程度観察可能なのか
意識が自然淘汰で残った以上、必ずま何らかの外界への影響があった

あなたは、主体が意識経験だと思うもの、すなわち意識経験から主体が作り出す心的表象とは別個に、何か意識経験の実体というものが存在するという、魅惑的な考えの罠にはまってしまったのだ。だが、その考えは間違っている。(p.33)

1974年のトマス・ネーゲルの有名な論文『コウモリであるとはどのようなことか』
プサンドラム…自己を表すラテン語の ipse と、難問を表す「コナンドラム」を組み合わせた造語
感覚刺激に対する反応として誕生し、幻想を生み出す仮定上の内定創造物をイプサンドラムと呼ぶことにする。

意識はあなたが自分のために用意した、ミステリアスなマジックショーだ。あなたは感覚的インプットに反応して、個人的反応として、イプサンドラムという一見すると別世界のものを創り出す。そしてそれをあなたの中の劇場で、自分自身に提示する。(p.57)

これでひと仕事みたいな雰囲気出してるが、いやイプサンドラムは結局何なの?謎を別の造語に閉じ込めて解明されたような空気出されても困る
ダニエル・デネットらはこの種の「カルテジアン劇場(デカルトの劇場)」派の意見を批判している。脳の一部が世界の複製を生み出して脳の別の場所がそれを見る、という構造では、問題が再帰的に後退するだけ

著者のハンフリーは、いや劇場の役目は複製じゃない、として反論してるが、世界の複製だろうが世界の何らかの写像だろうが話は同じだと思う。うーん僕はデネットの言ってることの方がまっとうに思うなぁ

著者自身もこの先理由付けを進めていくと言ってるので読みすすめる


感覚とは本質的に、体に触れる環境刺激との相互作用を表彰する方法
表象
感覚 != 知覚
知覚は、体の外にある客観的世界の表象
あなたの行動を外から読み取れるなら、それ以上の情報を中で読み取ることもできる。遠心性コピー。
パケットミラーリングみたいだな
自身の脳からの指令信号をモニターする機能から始まり、進化。

センティションは著者の造語

感覚はあなたの心によってモニターされるものとしてのセンティション(= 私秘化した表現活動)

動物のように、外界刺激は何らかの反応をもたらす。だが、その反応は仮想の体の上で起こる。仮想の体で起こる反応は内在化されている。
トマトの赤は赤という刺激で仮想の体に反応、神経レベルでの活動を引き起こす。これは自動的な反応で、それをモニターすると感覚が得られる
赤い光に対する目での反応を「赤すること(redding)」などと読んでいる
すべて行動、反応ベースで、感覚として存在するのはそれをモニターするときだと

しかし、感覚反応のモニタリングはそれ自体で意識を生み出すわけではない。
今日でも感覚をモニターしているが意識のない状態にある生物が大多数なのだろう、と
センティションは(まだ)イプサンドラムという奇妙なものになっていない

ではどのように意識が現れたのか?
フィードバックループが、フィードバック自体の刺激をくるくると再帰的に回り始める。回路を一周したときに前の回とは微妙に異なる。遅延微分方程式、すなわちある時点における系の発展がそれより前の時点における系の状態に依存する。
アトラクター状態が起こりうる。微妙に変わってゆくループが長い回週を経てもとに戻る。高次元から見るとパターンを描く。

時間と感覚。
感覚経験は時間的にある程度の長さ続いているように感じる。これはアリストテレスの時代から言われていた

さて、意識とは何か、を一旦おいて、
次は、意識の目的は何か、を考える
意識ある生き物が哲学的ゾンビ心理的ゾンビ)よりどう優れているのか
意識の発達史をみると、意識のメリットは以下。
・意識ある生き物は現象的意識を持つことを楽しむ
・現象的意識を持って生きている世界を楽しむ
・現象的意識を持っている自己を楽しむ
つまり、生きる喜びが付与され、世界を魅力に思い、形而上の自身の重要性を感じ取ることができる。

;; そう表現すると確かに平均して自然淘汰を生き延びるのに寄与しそうね
でも、存在したいという意思、存在することの喜びは、プログラムされた本能と比べて何が得なのか?生物は皆生きるためのプログラムに従って行動しているではないか、と。
また、散歩に連れて行って欲しい犬も、あたかも喜びを感じているようではないか

逆の視点で見れば個人としての死、自己の消滅を恐れる

もし、死を恐れるのが本当に人間ならではの特質で、意識を持つことの結果の一つであり、人間が生き続けるのを助けるのなら、意識――中核的意識――は、他のどんな動物の生物学的適応度よりも、人間の生物学的適応度に貢献することになる。(p.130)

んー、プログラム行動との差別化論証されたっけ?


アーメルとラマチャンドランの実験。本物の手を隠してゴム製の手を目の前に置き、研究者がゴム製の手と本物の手を同時にたたいたりなでたりする。すると、ゴム製の手のある場所で「触覚的な感覚」が起こったように感じる。
それどころか、ゴム手の代わりにテーブルの上の一点を叩いて見せると、テーブルの上の一点で感覚が起こっているように感じる

中核的自己。あなたであるという経験は、他の誰も経験することができない、他に例を見ない孤独。
詩人による人間と世界の讃歌を紹介


魂という言葉の重さをわかっていて、そのうえであえて使うのだ、と著者は言う。だんだん書籍のページを捲るに従って魂という言葉が出現する頻度が上がってきた
;; まぁそれもあって, これ科学書ではない感じするな. 科学の皮をかぶり哲学で色付けしたポエム


スペインで1万5000年前の遺跡に人形で頭がぐるぐるした絵が発見された。それが著者の言う感覚の私秘化の概念図に似ているだろう、と。うーん?


死によって不意に自分の命が断ち切られることを知っている人間の戦略、つまり意識を持つことによる生存メリットの別の側面は次のようにも表現できる

  • 未来を割り引いて考える。現在のために生きる。
  • 非個人化する。自分の死後も残る文化的存在と一体化する。
  • 肉体の死が最終的であることを否定する。個人の自己は不滅だと信じる。