『物の本質について』ルクレティウス

2022-08-06 開始、同日読了

著者名は伸ばしてルクレーティウスになってる。
『物の本質について』の他に『事物の本性について』と訳されることもある。
原題のラテン語: "De rerum natura"

叙事詩で書かれた、2000年前の自然科学に関するテキスト。正確には紀元前60, 70年とかそのへん。
叙事詩のことはよーわからんが、読み手への呼びかけの形を全面に出したエッセイみたいな感じするな。

長らく忘れ去られていたが、1417年に再発見され、ルネサンス期に影響を与えたとかなんとか。
日本語に訳されている本書自体は 1961 年が最初。

ルクレティウスは(めっちゃ原子論をアピってるし)エピクロス派だが、
エピクロスは紀元前300年ごろのひとだから、直接的な弟子とかではないな。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9

エピクロスは、哲学を概念と論証によって幸福を作り出すための活動と定義し、全生涯における幸福と快を密接に結びつけ、真の快とは、精神的なものであって徳と不可分であり、節制に基づく、心の平安であるとした。
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一方、エピクロスについての真剣な研究がウェルギリウスルクレティウスらの詩人によって行われ、特に後者による『事物の本性について(De rerum natura)』はエピクロス哲学を熱狂的で絢爛たる詩句で叙述し、迷信と恐怖からの解放を説いた。エピクロス哲学がルネサンス以降の読書人によって知られるようになるのは、ルクレティウスによる[5]。
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1417年、イタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニが、上記ルクレティウス『事物の本性について』の写本を発見し、エピクロス主義が再び知られるようになった[6]。

エピクロス派は「快楽主義」と呼ばれるが、快楽天的なアレではない。
哲学的思索こそ最高の快楽である、健康であれ、平静な精神を持て、という倫理的利己主義の一種、だとか。

何ものも無からは生じ得ず、ということは認めなければならない。物には、それを元として、それぞれのものが生み出され、空中のやわらかい空気の中へ出現しうべきその種子[原子]がなければならない。(p.20)

物は死滅するように見えても失われることはない。
原子が目に見えないからそんなものはない、なんて言えないよねと、風や太陽の熱を例に上げて説明しようとしている。

物は緊密に見えても疎であり、中には空虚が含まれている。
空虚がなければ物は動くことができないであろう。

さて、物質とは一部は原子であり、また一部は原子の結合によって形成されているものである。この原子なるものは、如何なる力でも、消滅せしめることのできないものである。 (p.32)

空虚を含まないものは破壊できない。崩れない。

原子 = atom = a(できない) + tom(切る) という語源だしな

我々が空虚と称する空間になっている場所には物質は存在せず、
また物質が占めているところには、絶対に空虚なる空間は存在しない

かつて万物の素材は火であるとした昔の人々は真理から遠いはずだ、と。
紀元前500年ごろのヘラクレイトスが唱えた火主説のことを言ってる。
ルクレティウスの時代から見て 400 年以上前か。僕らが江戸時代のことを話すよりも遠くを見ている。
その他にも四元素とかwwwみたいな感じで切り捨てている。

原子論に対する「じゃあどうして世界にはいろんなもんがあるんだ」という(仮想)反論に対して、
この文章も同じアルファベットを使ってるけど色んな意味を表現してるだろう、みたいな現代的な反論をしている。

うーむ、すごく現代的な感覚だ。。。2000年前にここまで到達していたのになぜ。まぁだいたいキリスト教が悪いな。知らんけど

財宝も高貴な生まれも我々の肉体に何の益もない。

原子の満たすべき性質を論じている。科学的手段が使えないので完全にロジックでぶん殴ってるが、けっこう正しいのがすごい

原子は単一の形態ではなく、いろいろな形の原子があるだろうと。
原子に色はない。色も分解していけば原子なのだから、と

精神と魂。animus と anima。ルクレティウスは両者を意図的に混ぜて使う。詩としての語感を整えることを優先したため。
精神も魂も、原子の働きによるものだ、と。
このあたりは現代でも解明しきれてない問題だから流石に卓越した議論を展開するのは無理があるわな。
むしろ最近読んだニコラス・ハンフリーの議論の質もだいたいこんなもんだったぞ。。。
自由意志は存在しない、くらいはもう大方確定してるんだっけ?

肉体から独立した魂は存在し得ない。感覚器がない。と
魂は不滅であるという言説を否定。
精神の本質は死すべきものである。

音や声が聞こえるというのは、すべて耳の中へ侵入して「その原子を以て感覚を打った」ときに聞こえる
映像とは異なり、音は曲がりくねった通路を通過する。だから扉の向こうでの会話が聞こえるのだと。

あー、音が波ってのは発想が至ってない感じか。これも原子で説明しようと「声の原子」みたいなことを言ってる

物から剥離して映像がそこらに浮遊している、みたいな不思議な説明をしてる。

物の映像は多量に、色々な工合に、四方八方あらゆる方向に飛び回っているということである。 (p.187)

これまた、光によってものが見える仕組みを「映像原子」という発想で説明しようとしてるやつか。

世界は神が我々のためにつくったものではない、と断ずる。

「多くのルストラを通じて」 ... lustrum とは 4 年の期間を言う

先ず第一に、我々が現在眼に見ているあらゆる物からは、眼を打ち、視覚を刺戟するような原子が間断なく流れ出て、放出され、飛散しているに違いない。或る物からは臭いが間断なく流れ出ているが、...(中略)...種々なる音も亦(また)空気の中を浸透してやまない。 (p.304)

神々の食物、と書いて、ルビが「アンブロシア」